2012年10月14日
長府藩士 三吉慎蔵について/下関市立長府博物館 古城春樹館長

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪

2012年10月13日(土)
荘内南洲会主催の第176回『人間学講座』に初めて参加させていただきました。
70名ほどのみなさんが集まっての勉強会で、参加者の多さに驚きました。
前半は、堀 健悦先生による『論語のことば』でした。
83歳になられる堀先生が、「60代には60代の考え方があり、80代には80代なりの考え方がある」とのお言葉に、とても説得力を感じました。
今日も、孔子のありがたいお言葉を解説していただきました。
「身分相応の暮らしをしなさい」・・・とても心に響きました



そして、『人間学講座』の後半は、山口県からのスペシャルゲスト!
下関市立長府博物館の古城春樹館長は、1968年生まれという若さと長身のイケメンで、「まるで、坂本龍馬役の役者さんかしら?」と思うような素敵な方で、驚きました。
名前からして、芸名みたいですよね!

『長府藩士 三吉慎蔵について』の講義だったのですが・・・
歴史の本には書かれていないようなディープなお話をたくさんお聞きする事ができて、とても勉強になりました。
私達は、「長州」とひとくくりにしていますが、山口県には、萩藩、長府藩、徳山藩、清末藩、吉川家と藩がいくつもあって、それぞれに考え方に違いがあるとのこと。
そういえば、「庄内」と言われても、鶴岡と酒田では、微妙に気質が違うとか、住んでいる人間でないとなかなかわからないところがありますよね!
そんな下関(長府藩士)三吉慎蔵の生き様をわかりやすく解説して下さいました。
●慶応二年(1866)1月23日
寺田屋事件
「生きて本懐を遂げること」を学ぶ。
坂本龍馬と共に襲撃を受けた際、三吉は、「敵方に捕まるより、武士として自害して果てること」を龍馬に勧めたそうですが、「生きて本懐を遂げること」を龍馬に教えられ、二人で逃げて生き延びることを決意したそうです。
三吉慎蔵は手槍を持って敢闘、重傷を負った坂本龍馬を川端の材木小屋に隠して、伏見薩摩邸に急を知らせ、龍馬の命を救いました。
●慶応二年(1866)3月
三吉慎蔵は、小松帯刀・桂久武・西郷隆盛・坂本龍馬に四枚四様の『赤間関硯』を贈ったそうです。
その内の西郷隆盛に贈った『赤間関硯』だけは、荘内南洲会に所蔵されています。その他の『赤間関硯』は、不明なのだそうです。
私は、何度もその『赤間関硯』を荘内南洲会の資料室にて拝見していましたが、まさか、そんなに価値のある硯だったとは知りませんでした!

もう一度、資料室で『赤間関硯』を見てみようと思ったら・・・「下関市立長府博物館で展示するためにお借りすることになり、梱包してしまいました」と古城館長の護衛の方からお聞きしました。
歴史的に大切なものをお借りするので、下関までの復路は、陸路で帰られるのだそうです。
飛行機はタブーなのだそうです。
下関での展示が終わったら、またご返却にいらっしゃるのだそうで・・・次回は、車でいらっしゃるそうです。
東京から下関まで、車で15時間とのこと。つくづく下関って遠いなぁ〜と感じました


それだけに、下関市立長府博物館の古城館長のお話を直にお聞きする事が出来たことは、本当にラッキーだったと思います。

『柿の実の落つ時』著/帖佐 平四郎
こちらは、古城春樹館長が書かれた小説で、今年の6月に発行されたばかりの本です。
フィクションで、主人公が、幕末の志士達との交流を描いた歴史小説とのことです。
私も興味があるので、本の注文をさせていただきました。

下関市立長府博物館の次回特別展のチラシです。
近ければ行ってみたいのですが・・・



こちらは、チラシの裏面です。
おお〜っと!チラシの真ん中に、荘内南洲会所蔵の『西郷隆盛所用赤間関硯』(贈/三吉慎蔵)の写真がデーンと載っているではありませんか!
なるほど、今回、古城館長が、わざわざ荘内南洲会へお越し下さったのは、この『赤間関硯』を借用するという大事なミッションがあったというわけですね!
逆の見方をすれば、下関からわざわざ陸路を使ってでも借用したいお宝が荘内南洲会に所蔵されているということになります!

荘内南洲会の素晴らしさは、私も含めて、多くの庄内人がよくわかっていないように思います。

帰る時に、荘内南洲神社に参拝をさせていただきました。
こちらの神社は、伊勢神宮の古材で建てられた由緒のある神社です。
私は、今月から、荘内南洲会に入会させていただきましたので、少しずつ勉強してまいりたいと思います。
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