2014年03月17日

R 長崎・鹿児島・熊本の旅2014vol.8【4日目】長崎/出島・ちゃんぽん・大浦天主堂



『Rico's Room2』へ、ようこそ♪kao2icon23

2014年3月3日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行【4日目】

♪ああ〜長崎は〜今日も 雨だった〜ではありませんっ!

爽やかな快晴で、最高のお天気でした!
バスガイドさんも、「こんなによいお天気に恵まれるのは珍しいですよ〜!」と絶賛していました。

今回の研修旅行のおかげで、天草諸島や島原半島、そして長崎の複雑な地形をようやく頭の中にイメージすることができました。





長崎の住宅地は、どこもかしこもこんな感じで、庄内平野に住んでいる私達にとっては、信じられない光景でした。
道路はなく、階段なのです!
現在でも、建築資材は、『馬』で運んでいるそうです。
自家用車を所有している人は少ないのでは?

宅配便や郵便屋さんは、一体どうしているのでしょうか?
わざわざお届けして、留守だったら、めじょけねよの〜!
大きい荷物だったら、どうやって届けるんでしょう??
などといろいろと想像をしてしまいました。





長崎といえば、教科書で習った『出島』ですよね!





出島は、1636年(寛永13年)に、市内に雑居していたポルトガル人を居住させるために築かれた人工の島です。その後、1639年(寛永16年)の鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、出島は一時無人の島になりましたが、1641年(寛永18年)、平戸にあったオランダ商館が出島に移され、以降、開国までの218年間、西欧に開かれた唯一の窓口となり、出島は大きな役割を担いました。
 明治以降、出島の周辺の埋立てが進み、1904年(明治37年)に完成した第2期港湾改良工事により、海に浮かぶ扇形の姿は失われ、現在に至っています。
 長崎市では、当時の出島の姿を復元するために、平成8年度より19世紀初頭の建造物復元や護岸石垣の顕在化等の整備事業に取組んでいます。<国指定史跡「出島和蘭商館跡」立て看板より>






こちらは、『出島和蘭商館跡』の模型です。
私は、小学校の時に教科書で見て、『出島』という島というイメージから、もっと広範囲なものをイメージしていました。
実際に敷地内を歩いてみると・・・あらら、私の町内よりもはるかに狭いなぁ〜と驚きました!





レンタル着物が、1時間1,000円だったので、着物美人のいな子さんと一緒に着物を着ることにしました。
「15分後には、レンタル着物の団体予約が入っていますから!」と言われたので、大急ぎで、たくさんある中から、パッと着物を手に取り、ササッと着付けていただきました。
いろんな着物があったのですが、せっかくなので、今までに着たことのないような柄の着物を着させて頂きました。

自分でいうのもなんですが、宿屋の女将みたいですよね、私!(笑)
いな子さんも、よく似合うお着物をチョイスされましたよね!kao5

まさか、教科書に載った長崎の『出島』で、いな子さんと一緒に着物姿で記念写真を撮れるとは思っていなかったので、とても嬉しかったです♪
いな子さんといい旅の思い出の写真となりました。heart
今回、いな子さんから、ツアーに参加していただけたおかげで、楽しさが2倍になったように思います。
一人で着物を着ては、はずかしいだけですからね!


次に団体予約が入っていたのは、中国人観光客でした。
団体に巻き込まれず、ギリギリセーフで、着物が着れてよかったです。kao2

あまり時間がなかったのですが、この格好で、荘内南洲会の阿曽事務局長から、写真を撮って頂きました。
阿曽事務局長の観光時間をうばってしまったようで、ちょっぴり申し訳なく感じながらも、とてもありがたいと思いました。
なぜか、他の観光客たちが、私達の写真を勝手に撮っていましたよ!しょすけ〜!kao18






現在の『出島』を橋の上から撮影するとこんな感じです。
そんなに広くないというのがわかりますよね!
私は、今でも、扇形に島が浮かんでいて、周辺は海だと思っていたのですが、周辺一帯は、すでに埋立てられていて、想像していた教科書の『出島』とはずいぶんとイメージが違っていました。
『出島』以上に、周辺の埋立て技術の素晴しさに驚かされました。






こちらの立派な建物が、昼食会場です。

『四海楼』
四海楼は、明治32年に誕生しましたが、初代は長崎ちゃんぽんの考案者である陳平順です。福建料理と長崎の食材を組み合わせた味わいは多くの人を魅了してきました。<荘内南洲会資料より>






四海楼の5階に通され、そこから一望した『長崎港』と美しさに感動しました!





四海楼では、大皿の中華料理でした。





酢豚にキュウリが入っていましたが、違和感無く、美味しく食べられました。
キュウリをどっさりいただいた時には、こうして頂いてみることにします!





水餃子も出てきました!





『長崎ちゃんぽん』のミルキーなスープの美味しさは絶品でした!
「んめ!」しか言葉で出てきませんでした。





『皿うどん』も登場しました!
濃厚なとんこつの餡とパリパリの揚げ細麺を絡めて食べた時の口の中のハーモニーが、クセになる美味しさでした!
う〜ん、これは、また食べたいです!!!

長崎に来てよかったぁ〜と、本場の味にふれ、しあわせな気持ちになりました。





風水に合せて造られているような建物でした。
屋外には、瓦を使って巨大な龍のモニュメントがありました。
素晴しいですね!





食後の運動です!(苦笑)
『大浦天主堂』へ向って、登り坂を上がります。

庄内人は、こういう坂はなかなか苦手です。icon10
長崎に住めば、自然に足腰が丈夫になるでしょうね!





坂の途中には、お土産屋さんをはじめ、気になる建物がいろいろとありました。
ここで、たっぷり買い物を楽しめそうでした。





坂を登り詰めると、『大浦天主堂』が神々しく迎えて下さいました。

『大浦天主堂』は、長崎県長崎市にあるカトリック教会堂で、元治2年(1865年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり二十六聖人に捧げられていた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
昭和28年(1953年)に国宝に指定された。また、平成19年(2007年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへの掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の一つである。
昭和20年(1945年)8月9日、長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れた。<荘内南洲会資料より>








紀元1865年(慶応元年)2月19日 仏人宣教師プチジャン神父(後の初代長崎司教)により大浦天主堂が建立されたが、同年3月17日天主堂参観の大浦の住民等十数名が、同神父に近づき「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリヤの御像はどこ」と云った彼等は300年に亘る厳しい迫害を堪え忍び、ひそかに守り伝えたカトリックの信仰を表明した日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚歎させた。その感動的な場面をこの碑に再現し、信者発見100周年記念としてこれを建立するものである。1965年3月17日 信者発見100周年行事委員会<記念碑文>





大浦天主堂を拝観する際は、脱帽の上、私語は一切禁止でした。
礼拝堂の正面には、こちらのステンドグラスが美しく輝いておりましたが、カメラ撮影は禁止でしたので、「拝観券」の半券に印刷されていた部分をアップ致します。
長崎に原爆が投下された時に、爆風の影響で、このステンドグラスが割れたそうですが、その後修復され、現在に至るそうです。
この神聖な場所も、原爆の影響を受けたのかと思うと、一瞬で無差別に人の命を奪う原爆の恐ろしさを感じさせられました。





『大浦天主堂』の入口正面のマリア像です。
おだやかで、優しそうで、なんてよいお顔なんでしょう!
しばらく見入ってしまいました。
このマリア様が、どれだけ多くの人々の心を癒してくださったことでしょう。

こういうおだやかな顔で一日を過ごせたら、きっとストレスなく暮らせるのだろうと憧れます。

このマリア像のお顔を拝見したら、やはりキリスト教迫害の歴史はあってはならないことだったと思いました。




↓ランキング参加中!『クリック』で応援をよろしくお願い致します。

人気ブログランキングへ 

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 庄内情報へ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加



同じカテゴリー(TRIP)の記事画像
R 若葉旅館の若旦那へ御礼に行ってきました♪&酒田最強ランチ『新芽ランチ』702円(税込)
R モテモテ納得!『幕末酒田の異才/本間郡兵衛』酒田市立資料館 第208回企画展【資料館調査員による展示解説】
R エノカマさん来庄!本日最終日!『西郷隆盛と志士たち/本間美術館』&鮮魚の旨さに感動!『笑快晴』の巻♪
R 神秘的なサウンド♪戸沢村『幻想の森』にて『地下鉄のギタリスト/土門秀明プライベートライブ♪』
R 酒田出身/南北アメリカ徒歩縦横断に成功した青年『池田拓君之像』へ、地下鉄のギタリスト・土門秀明氏と訪問の巻♪
R 国宝『羽黒山五重塔』特別拝観へ行ってまいりました!
同じカテゴリー(TRIP)の記事
 R 若葉旅館の若旦那へ御礼に行ってきました♪&酒田最強ランチ『新芽ランチ』702円(税込) (2018-10-29 23:57)
 R モテモテ納得!『幕末酒田の異才/本間郡兵衛』酒田市立資料館 第208回企画展【資料館調査員による展示解説】 (2018-09-29 23:54)
 R エノカマさん来庄!本日最終日!『西郷隆盛と志士たち/本間美術館』&鮮魚の旨さに感動!『笑快晴』の巻♪ (2018-09-25 23:57)
 R 神秘的なサウンド♪戸沢村『幻想の森』にて『地下鉄のギタリスト/土門秀明プライベートライブ♪』 (2018-09-24 23:55)
 R 酒田出身/南北アメリカ徒歩縦横断に成功した青年『池田拓君之像』へ、地下鉄のギタリスト・土門秀明氏と訪問の巻♪ (2018-09-23 23:58)
 R 国宝『羽黒山五重塔』特別拝観へ行ってまいりました! (2018-09-21 23:56)


この記事へのコメント
今でも「馬」で建築資材を運んでいるというのはにわかには信じがたいです。
馬の通れる道路があるということ?
宅配屋さん郵便屋さんもさることながら自分の家の買い物を毎日持ち上げるというのもつらいような...。
冷蔵庫などはどうやって??
馬で??
謎は深まるばかり。

宿屋の女将さん似合いますよ!
Posted by あべ at 2014年03月17日 21:56
>あべさんへ
ベテランバスガイドさんが、長崎の建築関係者に、どうやって資材を運んでいるのか聞いてみたら、今でも、8割ほど「馬」で運んでいると教えてもらったのだそうです。
斜面に建つ民家には、道路はないので、おそらく階段に板などを敷いて、「馬」が歩けるような工夫をされるのではないでしょうか?
きっと庄内人には考えられないような知恵が、ちゃんとあるのだと思います。

雪国も嫌だけど、坂の上は、もっと嫌ですね〜!(>_<)

午後は、宿屋の女将から、マダム・バタフライに変身しました〜!(笑)
Posted by RicoRico at 2014年03月17日 23:08
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。