2011年10月16日(日)に、私たちは
オカリナ&エレクトーン女性音楽ユニット『ルリアール』は、
NPO法人あらたさんの震災ボランティア活動に参加し、岩手県陸前高田市広田町泊の避難所『慈恩寺』さんへお邪魔させていただきました。
NPO法人あらたさんは、震災の16日後から、7ケ月間、毎月第3日曜日に『慈恩寺』さんへ支援活動のために通い続けていらしゃいました。
10月16日(日)は、NPO法人あらたさんの最後の支援の日で、8回目でした。
酒田から、秋田自動車道を通り、片道約5時間かけて、『慈恩寺』さんに到着するという遠〜い道のりでした!
私たちは、去る9月15日
NPO法人あらたさんの未来創造館『敬老会』に呼んでいただいたことがきっかけで、「『ルリアール』の演奏を被災地のみなさんに届けたいので、一緒に同行していただけませんか?」というお誘いをいただきました。
私たちも、被災地で慰問演奏をやりたいという思いがあったので、即答で、OKしました。今回は、私たちをゲストとして、あらたのスタッフのみなさんが、おもてなしをして下さいました。食事の面倒から、機材の搬入搬出まで、すっかりお世話になってしまいました。あらたのみなさんの心配り&気配りの素晴らしさには、感心させられることばかりで、本当にありがたかったです。
車2台だったのですが、1台は機材+5名、もう1台には、酒田市東大町の『隆月』さんが、「酒田ラーメン」100食以上を詰め込み、合計11名で、酒田の未来創造館を出発しました。
上の画像は陸前高田市内に入ったところです。
あらたのスタッフさんが、私たちに、震災直後の凄まじかった光景の話しから、復興の進み具合をガイドしながら、運転をしてくれました。
道路は、整備が進み、電柱も立っていましたが、所々に積み上げられた瓦礫の山の量が、とんでもなくたくさんありました
5階建てのアパートもすっかり津波にのみこまれていました。
一番高い津波は、11階立てくらいの高さだったということで、「清水屋よりぜんぜん高いよの!」という会話になり、本当に想像を絶する高さの津波が襲ってきたのだということをイメージしました。
自然の力って、ここまで、凄いんだと実感しました。
『慈恩寺』さんに到着して、すぐに音響機材をセッティングし、すぐに『ルリアール』の演奏ということで、すぐに衣装に着替えました。5時間かけて到着し、全く休む暇がありませんでした
目まぐるしい状況だったので、今回も、結線のわかるアシスタントに同行してもらって助かりました。後片付けにも、技術が必要なので、アシスタントの存在は、大きかったです。
そして、私たちの演奏を聴いていただいている間に、厨房では、「酒田ラーメン」のスタンバイに追われていました。
私たちの衣装は、『マリー・クワント』の生地を使った衣装(通称:マリー)にしました。この衣装を通して、「元気に頑張って下さい」というメッセージを伝えたかったのです。MCでは、一言も「頑張って下さい」という言葉を使わないようにしました。
私たちは、衣装や音楽を通して、みなさんが、自発的に「よし!頑張るぞ!」という気持ちになっていただけたら嬉しいという願いを込めて、演奏をさせていただきました。
選曲や構成、MCにも、気を配りました。
酒田には、私たちよりも上手な演奏者がたくさんいらっしゃいます。しかし、このようなご縁を私たちにいただいたということは、偶然ではなく、必然だと信じて、今、私たちができる精一杯のことをさせていただきました。
お集りいただいた方々のすすり泣く音が、演奏中の私の耳に聞こえてきました。
涙をながしながら聴かれる方が多く、私たちも、感極まるのをこらえての演奏となりました。
やはり普通の演奏会とは、まったく違いました。
漁師さんたちが多かったのですが、ずーっと下を向いたまま、じっくりと聴かれる方が多く、演奏が終わると大きな拍手を送って下さるといった感じで、それぞれに思い描くものがあったのだろうと思いました。
演奏が終わってから、「俺は、オカリナが好きで、宗次郎をよく聴いていたけれど、CDがみんな泥まみれで聴けなくなった。でも、今日は、オカリナを生演奏で聴けてよかった」とか、「ルリアールさんの音楽を聴いていると、いろんな光景が見えてきて、とてもよかった。汽車が走っていく風景とかも見えたよ」などと、感想をいろいろと頂戴しました。
そういえば、『慈恩寺』に来る前に、飴細工のようにひねり曲がった鉄道のレールを見てきたことをハッと思い出しました!
早く陸前高田市にも、汽車が走っていく景色が復興して欲しいなと願わずにはいられませんでした。
そして、おまちかねの『隆月』さんのアツアツ「酒田ラーメン」が振舞われました
漁師のお父さん達が、ビールを片手に「酒田ラーメン」をすすりながら、「あ〜、久しぶりにラーメンを食べた!」と喜んで、何杯もお代わりをしていました
あらたのスタッフのみなさんが、何度も何度もラーメンを運んで、「酒田ラーメンには、トビウオのだしが使われているんですよ」とコミュニケーションをとっていらっしゃっいました。
本当によく働くみなさんです!
『隆月』さんは、なんと日曜日という稼ぎ時なのに、お店をお休みにして、この支援活動に参加されていました
初めてお会いしたのですが、お寺の住職さんが似合いそうな穏やかで、柔和な方でした。
私たちも、お昼は、『隆月』さんの「酒田ラーメン」をごちそうになりました。
『隆月』さんの人柄が味にしっかりと出ていました。やさしくて、麺にはしっかりとコシがあり、とても美味しかったです。
まさか、ワンタンまで入っているとは思っていなかったので、驚きました。
「酒田ラーメンといえば、やっぱりワンタンでしょ!」ということで、『隆月』さんが、本物の「酒田ラーメン」を被災された方に食べさせたいという気持ちが伝わってきました。
ラーメンのスープを運ぶために専用の容器を取り寄せたりと、お店の味をそのまま運ぶご苦労を知りました。
その他にも、あらたさんが、庄内柿や民田茄子漬け、お菓子などを振るまっていました。
手際良く後片付けを済ませてから、残った方々と一緒に山門前で、記念写真を撮りました。
嫌がる人は、誰一人いないのには、驚きました。
赤いスタッフTシャツが、NPO法人あらたさんと『隆月』さんです。(隆月さんは、右側の下から二段目の方です)
あらたの代表の齋藤緑さんは、最前列で左から4番目の方です。観音菩薩様のようにいつも微笑みを絶やさない素敵な女性です
私たち『ルリアール』は、再度、マリーの衣装に着替えました
そうすることで、いつ誰が来た時に撮った写真なのか、わかりやすいと思ったからです。
(『ルリアール』のアシスタントもちゃんと『ルリアール』の前に座っています)
この衣装は、漁師のお父さん達にも人気でしたし、お母さん達には、どうやって作っているのか見せて欲しいと撮影後には、衣装の話しで盛り上がりました。やっぱり、衣装って大事ですね!デザイナーの由美子先生に改めて感謝です
てるちゃんに作ってもらったイヤリングも、目立っていていいですね〜!
こんな楽しい会話をしましたが、実は、記念撮影をした山門の目の前は、こんな生々しい津波の爪痕がしっかりと残っていたのです
目の前の家は、津波で中が空洞になっていますし、入口の石柱は、津波の力でバタバタと倒れていました。
当時は、『慈恩寺』さんの玄関まで、海水が押し寄せてきたそうです
あと数センチで、床上浸水するところを免れたおかげで、このお寺が、避難所(一時的な生活の場)として使うことができたとのことでした。このお寺は、守られたのだなぁ〜と思いました。
この『慈恩寺』さんと『NPO法人あらた』さんとの繋がりは何ですか?と代表の齋藤緑さんに直接伺ってみました。
すると、NPO法人あらたさんの職員の一人が陸前高田市出身ということで、「大きな避難所には、支援物資が届いているけれど、小さな避難所には、届いていない!」という情報があらたさんのところに入ってきたのだそうです。縁もゆかりもなかったけれど、避難所『慈恩寺』の存在を知り、震災16日後には、いろんな不安をかかえながらも、救援物資を直接届けに行かれたのだそうです。
なので、未だに、『慈恩寺』にお集り下さる方々の顔は覚えたけれど、お互いに名前まではわからないのだそうです。それでも、「毎月第三日曜日に来ます」ということで、行けば、「また、あらたさんが来てくれる」と、とても喜んでもらえるのが嬉しくて、支援活動を続けていらっしゃったのだそうです。これには、驚きました
「どうして、私たちのために、ここまでやって下さるのですか?一回だけの支援というのはたくさんありますが、ここまで継続して支援をして下さる方はいないですよ!」と涙を流して喜んで下さるのでした。
私たちは、そのあらたさん達の素晴らしい支援活動のフィナーレを飾る特別な日に、ゲストとして呼んでいただいたのです。
こんなにありがたいことはありません。素晴らしい『絆』のある中での演奏会だったので、私たちも、安心して演奏することができました。
Rumiさんも、MCの中で、「あらたさんの活動に敬意を表します」と言って下さり、それは、きっとお集り下さった方々にも、ちゃんと届いたことと思います。
もちろん、『NPO法人あらた』さんが、これだけ長い支援を続けてこられたのは、あらたさんの活動を支援して下さる方々が、周りにたくさんいらっしゃったからだと思っています。
私たち『ルリアール』は、あらたさんの活動を支援して下さる方々のおかげで、慰問演奏会を開催させていただくことができたのです。
この場をお借りして、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
私たちが帰る頃には、天気がとてもよくなり、青空が広がりました。
確か、天気予報は雨だったはずなのに・・・不思議ですね!
あらたさん達が支援に入る日は、必ず晴れるのだそうです
陸前高田の海は、私たちに美しい姿を見せてくれました
帰りの車の中で、あらたの代表の齋藤緑さんが、「やり遂げた!という達成感がある」とおっしゃいました。
8回の支援活動をやる!と決めて、頑張ってこられた方の清々しい言葉を生で聞く事ができて、感無量でした
最後にサプライズがありました!
陸前高田の漁師さんたちが、獲れたての陸前高田のサンマをお土産に持たせて下さっていたのです
代表から、「『ルリアール』さんにも」と言われたので、「長くご支援を続けてこられたあらたのみなさんへのお礼のサンマですから、あらたのみなさんでお分け下さい」と私たちは辞退したのですが・・・「喜びは分かち合いましょう♪」と元気よく言われてしまい、思わず「はい!」と答えてしまいました
陸前高田のみなさんは、きっと「恩返しがしたい」という気持ちを込めて下さったのでしょう。日本人として、その気持ちは、ありがたく受け取らなければならないと思い、ありがたくいただいてまいりました。
サンマが漁ができるようになったという復興の証しをあらたさんに見せたかったのでしょうね。
最高に美味しいサンマでした
私の家族も、「行って、喜んでもらえて良かったの!」と言ってくれました。
見ず知らずの人でも、困っている人がいたら手を差し延べることの大切さと、継続することによって生まれる『絆』というのを体感させていただきました。このように慰問演奏させていただく機会をいただいて、本当に嬉しかったですし、行ってよかったと思っています。
Rumiさんをはじめ、気持ちよく送り出してくれたRumiさんのご家族にも感謝致します。
この度は、『NPO法人あらた』のみなさまにお世話になりまして、誠にありがとうございました。心より感謝を申し上げます。
最後に、当日、現地で配られた『NPO法人あらた』さんの支援活動の記録です。
最後の8回目の写真は、ダミーですけれど・・・
最初に支援に入った時の過酷な支援状況をお聞きすると、ただただ頭が下がりました。
7ケ月間にわたる支援活動、本当にお疲れさまでした。
被災された方々のご苦労というのは、これからも続いて、大変なことと思いますが、「生きる」とか、「人との絆」とか、「本当の幸せ」とか、いろいろと考えさせられ、得る事もきっとあったことでしょう。
もちろん、私も、「情けは人のためあらず」という言葉を実感させていただきました。自分の喜びとして、大きく返ってきました
最後に、「あなたたちのことは、絶対に忘れない!」と、陸前高田のみなさまから、大きな声を掛けていただきました。
私も、「絶対に忘れません!」
また、いつか、陸前高田のみなさんの前で、成長した『ルリアール』を観て頂けるご縁があることを祈ります。
元気に再会できる日まで、私も、頑張らなくっちゃ!
Rumiさんもブログにレポアップしていますので、ご覧下さい
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