昨年、95歳でお亡くなりなられた酒田の油彩画家・渡部善四郎氏の娘さんより、私の母に、「絵を形見分けしたい」との電話を頂戴しました。
私の母は、若い頃に、渡部善四郎さんの会社に勤めさせて頂いたことがあり、大変お世話になったそうです。
私は、渡部善四郎さんから、生前、何度もお手紙を頂戴していたにも関わらず、不義理をしてしまっていたので、今日は、私も、同行させていただき、仏前に手を合わせました。
私は、高校の時に、酒田市民美術展に油絵を出品し、最高賞を頂戴しました。
一般人に混ざって、高校生(最年少)が、最高賞を受賞したということで、話題になったのですが、当時、世間知らずの私には、正直言って、それがどういうことなのか、よくわからなかったのです。
それ以来、渡部善四郎さんから気に掛けていただき、「作品を出品しませんか?」という内容のお手紙と出品案内を頂いていたのですが、私は、高校を卒業して、油絵をやめてしまいました。
その後も何度も、お手紙を頂戴していたのですが、お返事もせず、大変失礼なことを致しました
お手紙の筆跡が、年々弱々しくなっていくのがわかり、体調を心配していました。
昨年、お亡くなりになられたことをお聞きしたのですが、今日、仏前に向ってお詫びをする機会をいただくことができて、ようやくホッとしました。
娘さんから、「お好きな絵をどうぞ」と言っていただき、私の母は、「まあ!素敵なほおずきの絵だの!」とそちらへ目が行ったのですが、私は、上の画像の左側の酒田市浜田の踏切の油絵が、「善四郎さんらしい」と思って、私の好みで、踏切の絵を頂戴しました。
私の中では、庄内の鉛色の空の下の古びた工場や建物の油絵が善四郎さんらしい作品だと思っています。
油絵ならではの深い色合いが、なんともいえない存在感があるのです。
帰宅してから、渡部善四郎さんのことをネットで調べてみたら、
2006年9月2日(土)の荘内日報に、渡部善四郎さんが、白甕社賞(最高賞)を受賞された記事を発見しました。
やはり工場の作品でしたね!
善四郎さんの娘さんから、「父は、シベリアや満州へ徴兵されたことがありました」というお話をお聞きして、衝撃を受けました。
戦没画学生/祈りの絵展のことが頭をよぎったからです。
善四郎さんは、無事に、日本に帰ってこられ、絵に親しむ生涯をおくることができて、本当によかったと思いました。
私に、「絵を描きなさい」と言い続けて下さった渡部善四郎さんの絵を形見として、いただけることになるとは。。。(一応、母が頂戴した形見ですけれど)
今、ちょっと考えさせられるものがあります。
また、絵を描いてみようかな〜とも、思いますが、やることがとんでもなくいっぱいありすぎますね〜
でも、絵には、絵にしか表現できない素晴らしさがあると思います。
渡部善四郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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