R<四国・九州研修旅行レポ8>知覧特攻平和記念館・鹿児島名物『鶏飯』・知覧武家屋敷

Rico

2015年03月30日 23:50



『Rico's Room2』へ、ようこそ♪

2015年2月26日〜3月1日の公益財団法人 荘内南洲会主催研修旅行『明治維新の先賢に学ぶ』旅
いよいよこれが今回の旅の最後のレポートとなります。

<4日目>2015年3月1日(日)
『知覧特攻平和記念館』(鹿児島県南九州市)

この『知覧特攻平和記念館』は、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう。)の沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。




知覧は、昭和16年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていましたが、戦況が緊迫し険悪となり遂に昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となり、20歳前後の若い隊員達が、満州・日本内地から集結しては、家族・国の将来を思いながら出撃した地です。
 沖縄戦で特攻戦死された1,036名の隊員は、知覧基地を主軸として万世・都城基地から、第8飛行師団は台湾各基地、義烈空挺隊は健軍(熊本)基地から出撃しています。




この地が特攻隊の出撃地であったことから、沖縄戦の特攻作戦で戦死された隊員の慰霊に努め、当時の真の姿・遺品・記録を後世に残し、この史実を多くの方に知っていただき、特攻を通して戦争のむなしさ、平和の大切さ・ありがたさ、命の尊さを訴え、後世に正しく語り継ぎ恒久の平和を祈念することが基地のあった住民の責務であろうと、特攻基地跡の一角に知覧特攻平和会館を建設しました。
毎年5月3日の知覧特攻基地戦没者慰霊祭には、全国から参拝者が訪れています。




出撃前に子犬と遊ぶ特攻隊の姿を偶然通りかかった朝日新聞の記者が撮影した写真(左)だそうです。
これから出撃するとは思えない表情に驚かされました。
彼等は、このときはすでに、腹が決まっていたからこんな表情ができたのだということです。

特攻機には、爆弾と片道分の燃料しか搭載されていません。
「敵陣へ玉となって飛んで行け!」
そんなありえないことが実際に行われ、1,036名もの尊い命が散りました。

私は、ちょうど土日しか上映しないという映像を拝見しました。
ティッシュBOXを丸ごと持参すればよかったと思うほど、最初から最後まで、涙と鼻水が止まりませんでした!
いくら泣いても、失われた命は戻ってこないのです。
戦争とは、なんとむなしいのでしょう!





特攻隊のみなさんは、こんな陰湿な建物『三角兵舎』の中で、出撃を待ちました。
中は暗くて、いるだけで気が滅入ってしまう環境でした。
どんな思いでここで過ごしたのかと思うと、辛過ぎて、すぐに外に飛び出してしまいました。




こちらは、昼食会場『知覧パラダイス』へ移動してから撮影したものです。
左から、京都の原田良子さん、秋田県由利本荘市の村上先生、山形県酒田市の私、北九州市小倉の古川文子さん。
荘内南洲会様のおかげで、知覧にて、こんな素敵な再会の場となりました♪

現在、89歳の村上先生曰く、「もし、あと2、3年早く生まれていたら、私も特攻に召集されていたかもしれません。だから、いつかこの知覧特攻平和記念館に来たいとずっと思っていました。『知覧特攻平和記念館に来ることは、日本人の義務だと思います』」と、しっかりとした口調でお話しをして下さいました。
特攻隊の青年たちが生きていたならば、村上先生くらいの年齢ということで、戦争は大昔の出来事ではないということをしみじみと感じました。






昼食は、鹿児島名物『鶏飯(けいはん)』でした。
鶏肉などの具をご飯にのせて、鶏だしを入れて、お茶漬けのようにサラサラといただくお料理です。
ところが、なんとRicoママは、鶏だしではなく、急須のお茶をかけて、単なる「お茶漬け」にしてしまったのです。
「味がさね〜」と言っていたら、「まあ!お客様!お茶をかけてしまったんですか!?すぐに別のものにお取替えいたします!」とお店の方にご迷惑をお掛けしてしまいましたm(_ _)m
『鶏飯(けいはん)』にお茶をかけて頂いたのは、Ricoママくらいでしょうね〜(笑)
『旅の恥は掻き捨て』とは、Ricoママのための言葉だと思います(*^^*)






午後からは、『知覧武家屋敷群』へ足を運び、一軒一軒の庭園を見学させていただきました。
普通の日本庭園とは異なり、琉球庭園と通じるものがありました。
ちょうど、梅が咲いていました。
酒田とは約1ケ月くらい春が早いという印象でした。





こちらは、高倉健の映画『ホタル』の舞台になった『富屋食堂』の復元です。
実際に、鳥濱 トメさんという女性が、ここで、「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見て、“特攻の母”と呼ばれました。
「僕、ホタルになって帰ってきます」と飛び立った特攻兵。季節外れのホタルが飛んだという実話をもとに、映画化されたそうです。

もっともっと生きたかったであろう命。
平和を心から願って散っていった命。

私は、今、生かさせていただいているということにどれだけ感謝できているのでしょうか?
平和のありがたさをどれだけ実感できているのでしょうか?

知覧特攻平和記念館へ足を運ぶ機会をいただいて、本当によかったと思っています。
最後の一人になっても、私は、戦争に反対します!

荘内南洲会のみなさま、南国交通のドライバー安楽さん、バスガイドの岩戸みち子さん、大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。


<今日の短歌>
知覧にて 特攻むなし 涙する
 今の命を 無駄に生きるな



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