R 『清正公大祭お逮夜(丸岡城址・加藤清正公墓碑)2016.7.23』に参列させていただきました。

Rico

2016年07月23日 23:25



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2016年7月23日(土)
山形県鶴岡市の金峯山『天澤寺(てんたくじ)』様で、『清正公大祭お逮夜』が行われました。

『清正公』とは、熊本城・大阪城・名古屋城の日本三大名城を築城した治水土木の神様と信仰されている肥後守熊本54万石の大名『加藤清正公』のことです。
地元では、「清正公様(せいしょうこうさま)」の愛称で親しまれています。

『忠廣公』とは、清正公の嫡子で、徳川幕府のいわれなき罪をかぶせられ、出羽庄内の丸岡に改易配流させられました。
いつの日にか、熊本へという思いをいだきながら、22年間、わびしい生活を送り、生涯を閉じられたそうです。
忠廣公が、清正公のご遺骨をひそかに運び、この地に葬ったという言い伝えがあり、昭和24年に発掘調査の結果、清正公の遺骨と判断されました。





今年の例大祭の会場は、『天澤寺』の隣の丸岡城址跡公園で開催されました。
昨年は、雨のため、本堂で開催されました。

天気が良ければ、丸岡城址跡公園で行われるということを知りました。

お二人のご本尊様を二つの山車に乗せて、上と下に分かれて、丸岡地区を練り歩く巡行が行われ、丸岡城址跡公園へ入ってきたところの写真です。





ご供養が始まりました。
心地よく澄んだ空気の中で行われたご供養は、大変ありがたいものでした。
ちなみに明日が、『清正公大祭』の本祭となり、清正公忠廣公尊霊供養はじめ、大祈祷法要が営まれるそうです。




写真手前が、『天澤寺』の住職様で、奥が、櫛引の『常楽院』の櫻井住職様です。
今朝、櫻井住職様から、この『清正公大祭』が行われるという情報をいただいたおかげで、参列させていただくことができました。
昨年は、7/18に行われたので、私は、てっきり、毎年7/18に開催されるものだと思っていたのです。
毎年、開催日が変動するようですね。
ご連絡をいただいてありがたかったです。
やはり、外での開催は気持ちが良いものですね。





写真の左が『清正公』で、右が『忠廣公』のご本尊様となります。

今年、熊本地震で、熊本城が無残な姿になってしまいましたが、いよいよ復旧工事に入ったニュースを先日拝見しました。
熊本の復興のシンボルとして、『熊本城』が復活することを祈らせていただきました。

今年、『清正公大祭』に参列をさせていただけて、よかったと改めて思いました。





芸能奉納では、櫛引西小学校に平成元年から伝わる『西小太鼓』が六年生のみなさんによって披露されました。

続いて、『丸岡桐箱踊り』という伝統的な踊りが披露されました。
改易配流となった忠廣公母子を村人が踊ってなぐさめたと伝えられています。





私は、初めて、『丸岡城址跡公園』へ入らせていただきました。
ここに、22年間住まわれた『忠廣公』の思いは、どんなものであったのかと考えさせられました。




公園内の稲荷堂です。
赤い鳥居が素敵ですよね。





こちらが、『天澤寺』の本堂です。
ライトアップされていました。





『天澤寺』さんの寺猫です。
今年の5月にお友達になりました!(笑)
とても人懐っこい子なんですよ!





今年は、ろうそくが消えることがなく、とても綺麗でした。





加藤清正公の墓碑へ行くには、こちらの門をくぐっていきます。





こちらが、加藤清正公墓碑です。





この『五輪の塔』の下を発掘調査したところ、加藤清正公の甲冑や遺骨などが出てきたということで、忠廣公が、ひそかに清正公のご遺骨を捧持したという噂は、本当であったということが証明されました。

偉大な加藤清正公が、ここに眠られているのです。
熊本の復興を祈らずには、いられませんでした。
合掌





こちらは、『清正閣』です。
機会があれば、もう少し詳しく説明をお聞きしてみたいと思っています。


今年、熊本地震があったということで、この『清正公大祭』に、昨年よりも、メディアの取材が増えるのでは?と思ったのですが・・・
ほぼ地元の方という印象でしたね。
丸岡地区の家々の前には、提灯が下げられて、とても風情がありました。
清正公・忠廣公が、地元の方々に今でも、愛されていることを感じる素敵な例大祭でした。



<今日の俳句>
熊本城 復興願う 天澤寺


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