R 山形県庄内町『清河神社』『北楯大堰』『歓喜寺』『御諸皇子神社』めぐり

Rico

2022年06月21日 23:58



『Rico's Room2』へ、ようこそ♪

2022年6月12日(日)
鮭川歌舞伎土舞台公演の帰りに、山形県庄内町『清河神社』へ立ち寄りました。
「明治維新の扉は、清河八郎が開け、坂本龍馬が閉じた」と云われている清河八郎先生が祀られています。
こちらは、回天の魁士『清河八郎』像です。
坂本龍馬と同じく、清河八郎も暗殺され、34歳の生涯でした。




毎年5月30日は、『清河神社』で例祭が行われています。




『清河神社』へ、昨年の夏に訪れた際、こちらの鳥居は修繕中でした。
鳥居が生まれ変わり、清々しい雰囲気になっていました。




『清河八郎記念館』の前に、まち歩きマップの看板がありました。
『北楯大堰』『歓喜寺』『御諸皇子神社』などが、近くにあったので、行ってみました。




こちらは、『北楯大堰(きただておおぜき)』です!
『最上義光歴史記念館』に、義光公が庄内の米作りを進めるために、この『北楯大堰』の整備事業を行わせたということで、写真パネルが展示してありました。
「どの辺りにあるのだろう?」と思っていたら、ここだったんですね!
美しく整備されてあり、この大堰のおかげで、米どころ庄内平野が広がったと思うとありがたい気持ちになりました。
酒井家が庄内へ入部するよりも前で、最上義光公が庄内を治めていた頃のお話しです。




『北楯大堰』の橋を渡ったところに、清河八郎の菩提寺『歓喜寺』がありました。




清河八郎は、江戸(麻布)で暗殺されたため、地元にお墓はないと思っていたのですが、分骨してこちらの『歓喜寺』にも、墓碑が建てられたそうです。
地元でも、まだまだ知らないことが多いものですね!





こちらが、『清河八郎先生のお墓』です。
先に、お参りされた方がいらっしゃったようで、新しいお花が備えられてありました。
現在でも、地元のみなさんに尊敬されていらっしゃる偉人です。




『歓喜寺』の隣には、「源義経」が平泉へ逃れる途中、一夜の宿とし、旅の安全を祈願した社として知られている『御諸皇子(ごしょのおうじ)神社』がありました。
神社の隋神門には、立派な金剛力士立像が安置されてありました。




囲いに覆われていたので、隙間から覗くしかありませんでした。




金剛力士像の体に、白いものが無数に張り付いていたので、一瞬、蛾かと思って、驚きました!
これは、『紙つぶて』といって、投げるために紙を丸めたもので、昔の人は、体の悪いところが治るようにと、像の同じ箇所に投げつけたものとのことです。

この隋神門からさらに、急な石段が続いていましたが・・・
時間がなく、上までは行くことができませんでした。
上には、神社の本殿があるのでしょうか???
ミステリアスな雰囲気でした!
また、日を改めて、上まで行ってみたいと思います。



↓ランキング参加中!『クリック』で応援をよろしくお願い致します。

人気ブログランキングへ





関連記事