西郷さんといえば、上野のイメージが強いですが・・・
こちらは、
酒田市『南洲神社』の西郷隆盛像です。
私の以前のブログでは、紹介しておりましたが、こちら、「んだ!ブログ」に引っ越ししてからは、取り上げていなかったので、アップさせていただきます。
西郷隆盛像といっても、
酒田『南洲神社』の西郷さんは、座っておられます!
残念ながら、愛犬の「ツン」は、いません。
しかも、こんな感じに、二人が向き合っている座像は、非常に珍しいと思います。
これが、有名な『徳の交わり』像です。
西郷隆盛先生と菅実秀先生が、対話しているという座像。
西郷隆盛先生の寛大な処分のおかげで、庄内藩が救われたことが書かれてあります。
破れた敵方に対しても、思いやりを持った西郷先生って、どんな人物だったのでしょうか?
西郷隆盛先生と菅実秀先生とのお二人の対話がなされなかったら・・・おそらく現在の庄内は、全く違うものになっていたことでしょう。
ゴールデンウィークに、書家/
岡本光平先生が率いる飛島・館岩踏査隊のみなさんと一緒に、財団法人 荘内南洲会(南洲会館)にお邪魔して、お話をお聞きしたいと思っています。
昨日は、その具体的なスケジュールを詰めるためにお伺いしたのですが、ご担当者が不在ということだったので、西郷さんにご挨拶だけして帰ってきました。
水屋にも、しっかりと薩摩藩の家紋「丸に十の字」が刻まれています。
南洲神社では、南洲先生(西郷隆盛)を奉っています。
庄内にとっては、南洲先生は、神様のような存在で、神社まで作ってしまうというという慕われ方が凄いと思います。
西南戦争では、庄内の二人の青年が薩摩軍と共に戦い、命を落としたそうです。それほど、西郷隆盛は、「南洲先生!南洲先生!」と旧庄内藩士たちから慕われていたといわれています。
敬天愛人けいてんあいじん
西郷隆盛が、好んでよく使った座右の銘で、「天を敬(うやま)い、人を愛すること」という意味で、直筆の書が、南洲会館にはたくさん保存されています。
致道博物館/書〜幕末明治に活躍した人びととの関わりについても、お話を聞かせていただきたいので、後日、南洲会館にお邪魔させていただきたいと思います。
こちらの南洲神社には、西郷隆盛を慕うたくさんの方々が日本全国から訪れていらっしゃいます。
私も含めて、地元の人間が知らなさすぎるのは、もったいないことだと感じています。
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