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2015年7月18日(土)18:30〜
山形県鶴岡市『天澤寺(てんたくじ)』で開催された『清正公大祭お逮夜』に参列させていただきました。
清正公とは、大阪城・名古屋城・熊本城の日本三大名城を築城した治水土木の神様と信仰されている肥後守熊本54万石の大名/加藤清正公のことです。
私は、2014年3月に熊本城と加藤清正神社を参拝させていただきました。
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その際に、熊本城のあまりの素晴らしさに感動し、地元庄内にある加藤清正公墓碑を墓参させていただきたいと願っていました。
總光寺様の書道教室でご一緒させていただいている櫛引の『常楽院』の桜井住職様より、『清正公大祭お逮夜』の詳細情報を教えていただいたおかげで、ようやく墓参の念願が叶いました。
御朱印もお願いしてよかったです。
「清正公」の文字が大変ありがたいです。
丸岡城址周辺には、「清正公」ののぼりがたくさん立てられていました。
地元では、「清正公様(せいしょうこうさま)」の愛称で呼ばれているそうです。
こちらが、『加藤清正公墓碑』です。
この五輪塔の下に、清正公が眠られていらっしゃいます。
どんな思いで、ここに眠られていらっしゃるのでしょうか?
本堂の前に、『清正公像』と『忠廣公像』が置かれていました。
『清正公大祭お逮夜』では、このご本尊を二つの山車に乗せて、丸岡地区を練り歩く巡行が予定されていましたが、雨天のために、天澤寺前のみの巡行となりました。
こちらが、『清正公像』です。
清正公は、生前、日蓮宗を信仰されていたということで、体の中心に「南妙法蓮華経」の文字が刻まれているのだそうです。
こちらは、『忠廣公像』です。
清正公の嫡子・忠廣公は、徳川幕府のいわれなき罪をかぶせられ、出羽庄内の丸岡に改易配流させられました。
いつの日にか、熊本へという思いをいだきながら、22年間、わびしい生活を送り、生涯を閉じられたそうです。
忠廣公が、清正公の遺骨をひそかに運び、この地に葬ったという言い伝えがあり、昭和24年に発掘調査の結果、清正公の遺骨と判断されました。
偉大な父親の亡き後、この地に配流させられた忠廣公は、さぞ無念の生涯であったことでしょう。
ご本尊様を巡行させる前にお経が読まれました。
ちなみに翌日が、『清正公大祭』の本祭となり、清正公忠廣公尊霊供養はじめ、大祈祷法要が営まれるそうです。
こちらが『天澤寺』本堂入口となります。
ご本尊様はここから巡行に出発されました。
巡行行列が戻ってきたところの写真です。
本来は、山車に乗せるご本尊様ですが、雨のため山車を出さずに、ご本尊様のみで巡行されました。
雅やかな衣装をまとった地元の子ども達。
境内には、カメラを手にしたお母さん達がたくさんいました。
お天気がよければ、丸岡城跡公園で行われる予定だった芸能奉納ですが、雨のため、本堂で行われました。
まずは、櫛引西小学校に平成元年から伝わる『西小太鼓』が六年生のみなさんで披露されました。
続いて、『丸岡桐箱踊り』という伝統的な踊りが披露されました。
改易配流となった忠廣公母子を村人が踊ってなぐさめたと伝えられています。
このお祭りに参列するまでは、清正公忠廣公がお気の毒で仕方がないという重い気分だったのですが、こうして、丸岡の人々によって、清正公忠廣公を大切にご供養されている光景を見て、あったかい気持ちになりました。
雨でしたが、参列させていただいて本当によかったと思いました。
そして、できることであれば、もう一度、熊本城・加藤清正神社へ行ってみたいという気持ちになりました。
歴史を学ぶことは楽しいことですね。
この度は、常楽院/桜井住職様にお誘いいただいたことに心より感謝を申し上げます。
<今日の俳句>
清正公 出羽庄内 眠る今
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