2012年11月04日
R 最終章『久松のルーツ』保定記・続保定記及び印旛沼日記
『Rico's Room2』へ、ようこそ♪
当ブログにて、『旧平田町の久松のルーツ』をたどるシリーズを続けてまいりましたが、本日が、いよいよ最終章となります。
当初から、山形県指定有形文化財(典籍)「保定記・続保定記及び印旛沼日記(ほていき・ぞくほていきおよびいんばぬまにっき)」
(平成20年5月2日指定)を保有されている久松さんという女性に尋ねてみるとよいと言われておりました。
2012年11月3日(土)に、酒田郷土史研究会会長の堀 健悦先生と仲介をして下さった高橋さんという方のおかげで、久松さんのお宅へお邪魔させていただくことができました。
お会いした久松さんは、今年で89歳になられたそうですが、とても89歳には見えない若々しさで驚きました。
初めてお会いしたというのに、「よくきてくださいました!」とニコニコ顔で迎えて下さいました。
大きな大きなお屋敷の一番奥の座敷に通されました。
そこで、発見したのが、上の写真の「久松」の梅鉢の家紋が入った酒入れです。(ちなみに、我が家の家紋は「丸に梅鉢」です)
腰にぶら下げて使った道具なのだそうです。
こういうお酒入れは、初めて拝見しました。
私が、挨拶をしようとしたら、久松さんは、ニコニコッと微笑み、「私は、あなたの亡くなったおばあさんとは、よくお話しをしたんですよ。だから、あなたのことは、小さいころから、お話しでよく聞いていましたので、知っていますよ」とおっしゃいました。
鳩が豆鉄砲を食ったような状態になってしまいました
まさか、こんなに驚く展開が待っていたとは!
私のことを最初から大歓迎して下さっていたことをこの時に納得がいきました。
私が知りたかったこと「旧平田町に、久松一族が移り住んだのは、いつ頃で、一体どこからやってきたのか?」という質問をしてみました。「金山町に住んでいて、落ち武者となって、この地域に移り住んだけれど、時期や理由の詳細はわからない」ということでした。
今年の7月に、久松さんの東京に住むお孫さんが、私と同じように久松一族のルーツを調べたのだそうですが・・・金山町の方も詳しく調べたけれど、わからなかったということでした。
残念な結果といえば、残念ですが、まずは、久松一族は、武士であったということと、江戸時代頃には、旧平田町には移り住んでいたのは確かということがわかりました。
そして、こちらが、庄内藩大庄屋(添川組)の久松宗作の編さん・作成による保定記と続保定記です。
今は、大切に保管されているのですが、この本の価値がわからなかった昔は、蔵に置いていたそうです。戦中、疎開してきた人達の荷物を預かったところ、その荷物から虫が発生し、この保定記と続保定記も、虫に喰われてしまったのだそうです。
でも、表紙だけで、中の方は、状態がよかったです。
本を開いてみると、このように江戸時代の人々が使っていた道具などが、数ページに渡って詳しく描かれていました。
昔墨と筆だけで、よくこんなに描けたものだと、関心しました。
もはや、私には、解読不可能でしたが、几帳面に書きつづられている美しい書に感動しました。
着色されたページもあり、本を眺めていると、江戸時代が、まるで、つい最近だったような感覚になりました。
こんなに素晴らしい記録本は、初めて拝見しました
100%手書きというのが、今の時代では、とても感動させられます。
続保定記(印旛沼古堀場御普請之部)は天保14年に幕府の命で庄内藩があたった利根川分水路印旛沼普請の状況をたくさんの絵図を用いてまとめられていました。
私の先祖にあたる人が、これを描いたのかぁ〜と思うと、ますますありがたい本に感じました。
こちらは、久松宗作さんの『印旛沼日記』です。
もちろん、私には、何が書かれてあるのかさっぱりわかりませんでした。
でも、ご先祖様が残された日記をじーっと眺めていたら、今、こうして、私が毎日ブログ綴っていることも、もしかしたら、同じDNAなのかしら???などと一人で、物思いにふけってしまいました。
ブログデータが、100年後、200年後に残っているものなのかどうかわかりませんが、2012年の今を庄内で生活していた私の暮らしぶりを将来の人々が、へぇ〜?と思いながら見ることって、あるんでしょうかね???
久松宗作さんの足元にも及ばない稚拙なブログですが、記録を残すということの大切さをしみじみ感じた日でした。
そして、おいとまさせていただこうとしたら、久松さんが、「ちょっとまって!」と言って、私達三人に渡してくれたのが、こちらの手作りの手提げ袋です。
これは、全て、久松さんがお作りなられたものだそうで、なんと、一人ずつこんなにたくさん持たせて下さったのでビックリしました!
左の手提げは、iPadにジャストフィット!
とても89歳の方が作られたとは思えない、まっすぐのミシンや丁寧な仕上げにこれまた感激しました。
久松さんは、私達の訪問を歓迎し、とても嬉しそうにしていたのが、印象的でした。
頭の回転が早く、しっかりとした会話で、本当に素晴らしいと思いました。
素敵に年を重ねられている方にお会いできると、嬉しいものですね
久松さんは、私の父のこともしっかりと覚えていたので、今度、父と一緒にご挨拶にお伺いさせていただきたいと思っています。
そして、今日、久松さんとの仲介役を引き受けてくださった高橋さんのお宅は、なんと私の祖父母のお墓のある場所すぐ前でした
その高橋さん宅へ入っていく私の姿を偶然通りかかった私の両親が目撃していた!という事にも驚きました。(旧平田町での出来事です!)
人間は一生のうちに
逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に。
森信三
またまた、この言葉が頭をよぎり、鳥肌が立ちました!
『久松のルーツ』をたどる間に、そんな不思議な出来事が次々と起こりました。
そう、きっかけは、中学の同級会でした。
中学時代には、まったく面識のなかった三人が偶然となり合わせになり、この話しになりました。
同級生には、できれば、またお会いして、詳細を報告ができたらいいなぁ〜と思っています
お世話になった多くのみなさま、そして、ご先祖様に心より感謝を申し上げます。
誠にありがとうございましたm(_ _)m
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