2014年03月31日
R 春の大出費!ストーカーわんこの巻

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年3月31日(月)
両親が、午前中、わんこ隊の春のワクチン接種のため、近所のペットクリニックへ連れて行きました。
ワクチン接種の他、健康診断、爪切り、一年分のフィラリアの薬、諸々の薬、フードなどなど・・・全部で、45,000円かかったそうです。
来月は、狂犬病予防接種を受けますので、毎年、春はわんこ隊に60,000円くらい出費する覚悟をしています。
これからは、我が家のわんこ隊もシニアということで、医療費がどんどんかかることになるでしょう。
よく飼い主が飼いきれないという理由で捨てるというひどい話しを耳にしますが、こうした動物の医療費の問題も中にはあるのではないかと思います。
明日4月1日から、消費税率が8%に増税されます。
もちろん、わんこ隊にかかる費用すべてにも適用されます。とほほほ・・・
消費税率が上がっても、わんこ隊に還元されることは残念ながらありません。
わんこ隊にも保険が適用になるんだったら嬉しいのですが・・・
わんこ隊の美容代は、節約のために、私がカットしています。
これだけで、年間かなり違うはずです!
先日、Ricoママが一人でカットしたため、『ぽぉ〜』の顔が半分なくなってました!

やっぱりセンスなし!



ようやく毛が伸びたので、『ぽぉ〜』の顔を補正することができました。
今日の一枚は、ストーカーわんこの『ぽぉ〜』です。
私は、毎日『ぽぉ〜』に追いかけ回されています!(笑)
私がブログをやっている時は、必ず私の膝の上にいます!はい。今も、膝の上ですよ!
寝るときも一緒です。
『ぷぅ〜』が私に近づくと、『ぽぉ〜』の威嚇が始まります。『ぴぃ〜』には甘いのが不思議なのですが・・・
とにかく私を独占したくて仕方がないようです。
なぜ、こんな風になったのか不思議です。
『ぽぉ〜』は、完全にRicoママを見下していますね!
おやつをくれる時か、他に甘えられる人間がいない時だけ、Ricoママに甘えるという感じです。
そろそろあたたかくなってきたので、わんこ隊と一緒におでかけしようかな〜?

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2014年03月30日
R 酒田駅前『Jazz Rino NIGHT17』久しぶりにライブ観戦の巻♪

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2014年3月29日(土)
何年ぶり?で、酒田駅前の『Jazz Rino』へお邪魔しました。
入口から内装まで、真っ赤っかな世界です!
『Jazz Rino NIGHT17』とは、地元のアーティストのみなさんが出演されるライブで、Jazzライブというわけではありません。

昨夜は、知り合いの人路さん(写真中央)からお誘いをいただいて足を運ばせていただきました。
現在は、人路としてのソロ活動よりも、『naUta and town』というバンドで活動をされているそうです。
昨夜は、ベースの方が不在で、アコースティックバージョンでのライブでした。
アコースティックバージョンも、やっぱりよかった!

人路さんの後ろで、カホンを叩いていた『naUta and town』の紅一点の方が写っている写真もアップします!
みなさんのハイセンスなサウンドが、心地よく、安心して楽しめる素晴しいバンドだと思います。
アコースティックバージョンでの活動の場面も、これから増やしていって欲しいと願います。
こちらの『naUta and town』さんが、トリでした!
今日は、出演の逆順でご紹介させていただきます。

昨夜のもう一つの私の楽しみは、『野良にゃ〜んず』のライブでした!
ヴォーカル&ベースのにゃーんず弐号さんとは、古くからの知人だったのですが、一度も、彼のライブを拝見したことがありませんでした。
ようやく実現して嬉しかったです♪
現在、ファンクを中心に活動中で、昨夜は、いきなりファンク『りんご追分』から始まり、ファンク『舟唄』と、かなりやられた感があり、とても面白かったです!
なんといっても、ラストの『スポーツルンルン』のファンキーな感じが楽しかったです。
ファンクビートはクセになりますね!
ファンクバンドは珍しいので、この路線でもう少し続けて欲しいと思うのですが・・・ファンクは5月までとか言っていたのが気になります。
にゃーんず弐号さんの後ろに、ドラムのガン・リヨンさんがいらっしゃったのですが、私の場所からは、全く見えなくて申し訳ありませんでした。

そして、オカリナサークルの『Glehnia(グレーニア)』のみなさんです。
オカリナの大沼さんが中心となって、オカリナサークルを酒田市内でやっています。
昨夜は、大沼さんが、Jazz Rinoの雰囲気に合わせて、ジャズやボサノバを演奏してくれました。
大沼さんのオカリナは、特殊なオカリナで、口が3つあるのだそうです。
オカリナは音域の少ない楽器なのですが、その3個をくっつけて、音域の広いオカリナに改良したものというイメージです。
オカリナといっても、いろいろあるのですね!
これからも、酒田のオカリナ愛好家を増やす活動を頑張ってもらいたいと思います。
他に、ギター弾き語りソロ(男性)の『KAFKA(カフカ)』さんと女性三名(ボーカル、ギター×2)の『Paraborubbish(パラボラビッシュ)』さんがご出演されました。
写真掲載許可を頂かずに帰宅してしまったので、無断でブログにアップしては失礼かと思いますので、掲載致しません。
もし、掲載希望の場合は、ご連絡をいただければ掲載いたします。
『KAFKA(カフカ)』さんは、一つ一つの言葉や音を丁寧に演奏されていたところが素晴しいと思いました。
『Paraborubbish(パラボラビッシュ)』さんは、初ライブということで、初々しさに好感がありました♪
私は、しばらくライブ活動予定がないので、ようやく地元の音楽仲間のライブへお邪魔できる余裕ができてきました。
みなさまが、それぞれにいいものを持っていて、ライブを観ることは、とても勉強になります。
これから、楽曲を増やしていかなければならない私にとって、とても参考になりました。
そういう意味でも、昨夜はとても見応えのあるいいライブだったと思います。
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2014年03月29日
R 『酒田のラーメン』おみやげ!1箱4食入りを買って食べてみました♪

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先日、お酒を飲まない男性に、酒田のおみやげを何にしようかと悩み、山居倉庫の『夢の倶楽』へ探しに行ってみました。
男性なので、甘いお菓子は好みではないかもしれないし、どうしようかと悩んでいたところ、この『酒田のラーメン』(1箱4食入り)1,050円が目に飛び込んできました。
まずは、自分が食べてみて美味しくなければダメだ!ということで、試しに買ってみました。

酒田市麺類食堂組合(酒田のラーメンを考える会)のみなさんがおみやげ用にと考案されました。
加盟店は、これだけあるのですね!
行ったことのないお店がたくさんあります!
私は、いろいろと食べ歩いているイメージがあるように思われていますが、私は、一度気に入るとそのお店をリピートをするため、ブログをやっているわりには新規開拓はしていない方だと思います。

箱の中身はこんな感じです。
1食の麺の量は少なめですので、男性だったら、1度に2玉でもいけそうな感じです。

どんぶりにスープを入れ、お湯で薄めて、そこに、茹でてしっかり湯切りした麺を投入。
盛り付けは、ネギと飛島産の生ワカメ!
はっきり言って、こういう袋スープには全く期待していなかったのですが、「あら!美味しい!」と驚きました。
さすがにお店でいただくスープと同じではありませんが、スーパーで市販されている袋スープに比べたら、とても食べやすいお味でした。
万人に喜ばれる味だと思います。
これは、『おみやげに決定!』でした!

おみやげで、これを食べたら、きっと「お店に足を運んで、本物の『酒田のラーメン』を食べてみたい!」という気持ちになると思います。
そのきっかけになってもらえたら嬉しいです。
『酒田のラーメン』で、地域おこしは可能だと思うのですが・・・
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2014年03月28日
R 3/21オープンした『イオンモール天童』へ行ってみました♪

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昨日は、主人がお休みだったので、 3/21オープンしたばかりの『イオンモール天童』へ二人で行ってみました。
酒田から車で片道2時間くらいかと思ったのですが、天童市周辺は交通量が多く、約2時間半かかって到着しました。
平日だから・・・と思っていたのが甘かった!メインの駐車場は『満車』で、敷地の端の駐車場に案内されるという状態でした。
あの時間帯に、何万人の人が、建物の中にいたのでしょうか?
スケールが大き過ぎて、私には全く予想ができませんでした。
敷地面積約14万平方メートルという巨大な商業スペースの外観は、カメラには収まりませんでした!
(巨大将棋駒『馬』の書は、羽生善治三冠が書かれたものだそうです。将棋駒生産日本一の天童市らしい演出ですね!)
モールに出店する約130店のうち64店舗は県内初進出ということで、私が一番興味をもったのは、長崎ちゃんぽんの専門店『リンガーハット』でした。
先日、長崎へ行って、『四海楼』の長崎ちゃんぽんをいただいて、その美味しさにハマり、県内で、長崎ちゃんぽん専門店が出来たということで、期待をして行ってみました。
ところが、人・人・人で、注文したら、どれくらい待たされるのか未知数だったので、今回はあきらめました。
お昼時だったのがよくなかったかもしれません。

とにかく広くて広くて、見て回るのも疲れそうでした。
私は、夕方から仕事の打合せがあったので、ほんのちょっとだけ見て、すぐに酒田に帰ってきました。
『イオンモール天童』へ行くならば、半日はいるくらいの気持ちで行かなければならないくらいのスケールだということがわかりました。
内陸と庄内からの集客を狙っている気合いをビンビン感じました。
山形県内全体の経済に影響することでしょう。
天童周辺の雇用の場になっていることは間違いありません。

何も買わないのも何なので、イオンスタイルストア東入口のところにあったベーカリーにて、パンを購入してきました。
普通の印象のベーカリーでした。
ただ、ベーカリー内にイートインコーナーがあったのは、よいことだと思いました。
利用されている方が結構いらっしゃいました。

酒田に着いたら、『濃霧』で視界が悪くて、不気味でした!
夕方4時頃に撮影した写真なのですが、太陽が月のように見えました。
これから、庄内の経済は、どうなるのだろう・・・と不安がよぎってしまいました。
山形県内の経済が変わろうとしています。
アンテナを張り巡らせ、時代の変化に柔軟に対応していかなければ、生き抜くことはできないと感じます。
まさに、サバイバルですね。
ピンチはチャンスとも言います。
こういうときこそ、心のあり方が試される時だと思います。
常にまわりの人に思いをめぐらせましょう。
自分に関係のないことはひとつもありません。
昨日、この言葉が一番、胸に沁みました。
私は、今、何をすべきか?
改めて見直すべき時がきたように感じています。
そういう意味でも、『イオンモール天童』へ行って、現実を知ってよかったと思っています。
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2014年03月27日
R メルヘン・マミュウでプレゼント購入♪中町中和会ポイントカードでエコバッグGETしよう!

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3月28日は、YOSHIKO先生と主人のお誕生日です。
主人はさておき、YOSHIKO先生の誕生日プレゼントを『マリーン5清水屋』へ探しに行きました。
音譜柄のグッズをたくさん取り揃えている2Fのファッション&雑貨『メルヘン・マミュウ』さんへお邪魔しました。
素敵な女性オーナー/マミュウさん(?)が、東京で買い付けてきた雑貨がずらり〜♪
一点ものが多いところが魅力で、その商品との出会いが楽しみの一つでもあります♡
昨日は、一目で、「あっ!これだ!♡」という素敵な出会いがありました!

音譜柄なので、YOSHIKO先生が気に入って下さることはきっと間違いないでしょう!←かなり自信あり!
プレゼント用にラッピングしていただきました♡
(中身がわからないように、画像はぼかしました)
プレゼントが決まると、早く渡したくなるものですね!


こちらは、この度、中町中和会で、オリジナルで制作した『エコバッグ』100個限定です。
取っ手が、ショルダーと手提げのツーウェイになるこだわりの『エコバッグ』です。
この『エコバッグ』をGETするためには、中町中和会の5店舗のお店でお買い物をしてポイントを5つもらえばOKです♪
すぐに集められそうなところが好感が持てますよね!

早速、『メルヘン・マミュウ』さんから、スタンプを1個押してもらいました!
あと残り4個です!
期限はありませんが、『エコバッグ』は100個限定ですので、なくなり次第終了となります。
この企画は、3日前からスタートしたばかりということで、まだ大丈夫です!
お早めにどうぞという企画ですね♪

中町中和会【ご利用店舗】
●中村イトヤ ●菅原鮮魚 ●リュウズ ●ごろや ●小松屋 ●コーヒーハウスぽえむ ●メルヘン・マミュウ ●マリーン5清水屋 ●フルーツデリにしむら ●いちろう中町店 ●高橋商店 ●七桜 ●蜂屋 ●尾川園 ●呉服いばらき ●HACHI ●ト一屋 ●杉山麹店 ●はきもの処太田 ●あるふぁ ●まるげん ●三日月軒 ●パソコン塾楽習庵 ●米沢屋 ●クイックサービス ●まる五 ●hope ●たつみや ●五十嵐製麺 ●そば処川柳 ●港屋時計店 ●浪漫亭 ●川井電機商会 ●アイライフ ●ハードランドkei ●ゼスト ●木村屋 ●はっぴぃちゃいるど ●さいとう精肉店 ●萬谷
飲食店もあるし、スーパーもあるので、これなら、私にも貯められそうです!
私の最大の課題は、このポイントカードを紛失しないことです!

お財布が、ポイントカードで膨れるのが嫌で、すぐに抜いてしまうクセがあるんですよね〜!そして、そのまま期限切れ〜というパターンが多く、私は、ポイントカードが集められない人間なんです。
でも、あと残り4個だったら、一気に回れそうですよね!


そして、『メルヘン・マミュウ』さんでは、韓国コスメも取り扱っていらっしゃり、こちらのキラキララメ入りBBクリームのサンプルを頂戴しました!
顔や腕に塗ると、叶姉妹のように、キラキラと輝くのだそうです!

「ライブにいいかも〜♪」ということで、ありがたくいただいてまいりました!
ライブで私がキラキラ光っていたら、『メルヘン・マミュウ』さんのこのマリー・アントワネットのような絵柄が描かれているBBクリーム使用中だと思って下さいね!(笑)
オーナーさんと美に関するおしゃべりをしたのですが、「『美』= 明るく生き生きと年を重ねられたら素敵だよの!そして、実際にそういう先輩に出会うとパワーをいただいて、嬉しくなるよの!」ということで盛り上がりました〜!

素敵なオーナーさんとおしゃべりをしたら、なんだか、心がウキウキと弾みました♡
やはり地元で、顔が見えるお店での買い物って、楽しいですね♪
ネットでもお買い物ができる便利な時代ですが、地元でのお買い物は、こういったコミュニケーションが付加価値なのではないでしょうか?
『メルヘン・マミュウ』さんは、先月から、『んだ!ブログ』をはじめられました!
慣れないスマホの操作で、悪戦苦闘されながらも、頑張って更新を続けているオーナーさんは、私よりも年上なのですが、とっても愛おしく感じます。
みなさま、どうぞあたたかい目で応援してあげて下さいね♡
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2014年03月26日
R 消費税増税前に醤油を駆け込み買い置きしました!『だし醤油』鎌田醤油

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我が家で愛用している讃岐のお醤油屋さん『鎌田醤油』の『だし醤油』がちょうどなくなったので、再注文しました。
いつも『だし醤油』200ml14ケ入りを2ケース注文しているのですが、消費税増税前に注文することができてよかったです。
創業1789年(寛政元年)の老舗のお醤油屋さんで、数年前に贈答品としていただいてから、すっかり気に入り、以来、切らさず注文するほど、我が家の味の主役となっているお醤油です。
『だし醤油』は、塩分11%で、さば節、かつお節、昆布の天然材料をブレンドした感動美味の醤油調味料です。
これさえあれば、何でも美味しくなるという魔法のようなお醤油です♡

ちょうど、お隣さんから、飛島産のとれたて生わかめをたくさん頂戴したので、すりおろしたショウガと『だし醤油』で、さっぱりといただきました!
最高の美味しさに唸りました!


鯛の昆布締めのお刺身も、『だし醤油』でいただきます。
繊細な鯛の白身の味を引き立たせてくれる素晴しいお醤油です。
お寿司屋さんでも、お醤油が美味しくなくてがっかりすることが多々あります。
お醤油の味って大事だなぁ〜と思います。
ちなみに、私の叔父は、この『だし醤油』がしょっぱくなくてもの足りないと言います。塩分36%くらいのお醤油をドドドドッと何にでもかけて食べている叔父には、たしかに甘く感じてしまうかもしれませんね!
健康のためにも、減塩+美味しい『だし醤油』に慣れた方がよいのではないかと思うのですが・・・
もうすぐ消費税増税8%がスタートします。
知り合いの家具屋さんが、「4月になってからの消費の落ち込みが怖い」とおっしゃっていました。
業種によっては、4月以降の買い控えがかなり深刻であるということを知りました。
『南洲翁遺訓』には、『税金を安く、民を豊かに』と書かれてあります。
税金を少なくして国民生活を豊かにすることこそ、その国の力を高めることにつながる。だから国として取り組む事業が多く、財政不足で苦しむようなことがあっても、決まった制度をしっかり守って、むやみと租税の法制を変えたりしてはいけない。政府高官や富裕な人たちが損をしても、一般国民の人々を苦しめてはならない。
古来、歴史を見てみるがよい。人の正しい道、道理が通らない世の中にあって、財政の不足で苦しむ時は、必ずこざかしい考えの小役人を用いて、その場しのぎをする人などを、財政がよく分かる立派な官僚と思って扱ってしまう。
そういった小役人は手段を選ばず、無理やり国民から税金を取り立てるから、人々は苦しみ、堪えかねて税の不当な取り立てから逃れようとしてしまい、嘘いつわりを言うようになる。
そして、互いにだまし合い、役人と一般国民が敵対して、最終的には国が分裂、崩壊するようになってしまうのではないか。<南洲翁遺訓訳より>
西郷隆盛先生は、若い頃、薩摩藩の下級役人として税取り立ての現場で働き、貧しい農民の実情をよく知っていました。税金で高い給料をとって、私服を肥やすような高官、政治家たちに我慢がならず、そのくせ「予算が足りない」と税率を上げようとする姿が許せなかったのでしょう。
被災地では、3年が経ち、これまでの支援が打ち切られはじめ、自死される方が増えているという深刻なお話しを先日耳にし、大変ショックを受けました。
そこに、消費税増税・・・胸が痛みます。
『税金を安く、民を豊かに』という西郷先生のお言葉をもう一度読み直しています。
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2014年03月25日
R 伊予和紙便箋『G.C.PRESS』&新しい2円切手と82円切手

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昨日は、お世話になった方々へ毛筆で手紙を書きました。
以前、仙台LOFTで購入した桜の花が浮き出しになっているこちらの伊予和紙の便箋を使い切ってしまいました。
とても書きやすくて気に入っていた便箋です。
わざわざ仙台まで買いに行かなければならないのは不便だなぁ〜と思い、このメーカーのサイトを調べてみました。
G.C.PRESS
全国取扱店一覧を見てみると、山形県内には、3店舗ありました。
<山形市内>八文字屋本店 、八文字屋北店
<天童市内>TENDO八文字屋書店
酒田の八文字屋では扱っていないのですね〜!残念です!(>_<)
一番近いのが天童市ということで、買いに行きますか〜!
ついでに、イオンモール天童へも行ってみようかしら??
地元で買い物をしたいと思っても、私が欲しいものを取り扱っているお店がないのですから、仕方がありませんよね〜!


来月4/1から、消費税増税に伴い、郵便料金もアップしますので、2円切手を50枚購入しました。
可愛いうさぎちゃんのデザインで、これはいいですね〜♪

新しい82円切手は、こちらです。
角度を変えてみると、「〒」と桜の花びらが、金色に輝く特殊加工が施されています。
お金がかかっている切手ですね!
デザインが、梅の花というのがちょっと気に入りません。
梅の季節以外に使用するのに、抵抗がありますね!
できれば、季節感のないデザインにして欲しかったです。
4/1からの『記念切手等発行プログラム』をいただいてきたので、今年も、購入したい記念切手を予めチェックしました!
どんなデザインの切手が発行されるのか、楽しみです。

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2014年03月24日
R アンリ・シャルパンティエの『プティ・タ・プティ』を頂きました♪

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先日、東京からお越しのとても素敵な女性の方から、クッキーの詰め合せを頂戴しました。
アンリ・シャルパンティエ-HENRI CHARPENTIER-の『プティ・タ・プティ』という一口サイズの9種類の焼き菓子がお洒落に詰まっているギフトでした。


バターの風味が香しく、とても美味しいクッキーの詰め合せに、感激してしまいました。

久しぶりに『本物のクッキー』をいただいたように思います。
最近は、クッキーの形はしているけれど、ショートニングで作ってあるクッキーが多く出回るようになり、がっかりなことが多いです。
アンリ・シャルパンティエの焼き菓子は、昔ながらのバターの味わいがしっかりと楽しめます♡
味に職人のこだわりをしっかりと感じます。

最後に、ハートを鷲掴みしたのが、こちらの『ミニピック』です。
「クッキーが取り出しにくい場合にこのミニピックをご利用ください」という気遣いが素晴しいじゃないですか!!!
しかも、この『ミニピック』のデザインがこれまたお洒落〜♪
『クッキー』の詰め合せで、こんなに感激するとは!
普段、自分のために、『クッキー』の詰め合せを買うことはないため、感激が大きかったです♡
もちろん、これを私にプレゼントして下さった女性が、とてもとても笑顔が素敵な方で、その方との出会いが嬉しかったことが、更にこのクッキーの印象を引き立てていることは間違いありません。
センスのよい方からのセンスのよい贈り物ということですね♪
誠にありがとうございました。
彼女に、またいつかお会いできることを切に祈っています。
話しは変わりますが、昔からブログで話題になっているお菓子をようやく買っていただいてみたのですが、残念ながら、私の好みではありませんでした。
そう感じたものは、当ブログには掲載しないことにしています。
今日一日、生かさせていただいたことに感謝して、素敵な感動・感激したことをブログに綴っていけたらいいなぁ〜と思っています。
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2014年03月22日
R リーズナブルランチ♪レストラン『フランボワーズ(鶴岡)』の日替りランチ

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2014年3月22日(土)
今日は、約3年ぶりに鶴岡の知人に再会しました。
3年前にも一緒に食事をしたレストラン『フランボワーズ(鶴岡)』で、再びランチを一緒に頂きました。
ここのおすすめは『日替りランチ』900円です。

今日の1品は、カニクリームコロッケ!
サックサクの衣に、中はとろ〜り熱々で、美味でした〜♪


もう1品は、豚肉のピカタ風!
こちらも、ジューシーな豚肉を卵で包んで焼いたもので、美味でした〜♪

これに、御飯、味噌汁、小鉢、香の物が付くので、大満足でした♡

食後に、こちらのデザートというより、ケーキとコーヒー!
これで、900円なのですから、人気があるのは当然で、店内はすぐに満席!
テーブル席は、他の客が入れ替わり、2回転していました。
お店のスタンプカードを貯めていた知人は、満点になったということで使用していました。
リーズナブルな上に、スタンプカードサービスまであるなんて、凄いですね!
メニューを見てみたら、本格的なコース料理なども、たくさんありましたよ。
知人とは、「久しぶりとは思えない感じだの〜」とお話しに花が咲きました。
親の介護の話しから、彼女の現在のお仕事の話しなど、興味深いものばかりで、勉強になりました。
彼女は、精神障がい者を支援するお仕事をされています。
「今、脇を通っていった車を運転していた人が、俺の悪口を言っていたから、注意してきて欲しい!」
「私は、俳優だから、ここを飛び降りろ!という声が聞こえて飛び降りた」
「僕は、体臭がひどくて、人に会えない」←実際は臭くないのに、臭いと思い込んでいる
などなど、精神障がいとはどういうものなのかということを教えていただきました。
それらを様々な薬でコントロールしなければならない人が、精神障がい者と認定されるのだそうです。
精神障がいというものをよく知らない私には、驚くような内容ばかりでした。
見た目は、普通よりもちゃんとしている人の方が多いため、障がいをわずらっているというのがわかりにくというのが、特徴なのだそうです。
周囲からは、「本人のやる気がないだけだ!」と誤解されてしまうという気の毒な病気なんですね!
これまで何でもなかった人でも、ちょっとしたことがきっかけで病になるとのこと。決して他人事ではないというお話しでした。
精神障がいという病気を抱えていらっしゃる方々は、庄内にもたくさんいらっしゃるそうです。
本人も苦しいけれど、そのご家族も苦しい。
そういった方々を支えるために、彼女は日々奮闘されていらっしゃいます。
彼女のように頑張っている方々を応援してあげたいと思いました。
また、精神障がい者への理解を深めることも大事なことだと感じました。
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2014年03月21日
R 春彼岸にお寺ライブ♪『白藤山 昌洞院』庄内町立谷沢/YOSHIKO&RICO

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2014年3月21日(祝)
曹洞宗『白藤山 昌洞院(はくとうさん しょうどういん)』(庄内町立谷沢)に、ヴォーカル&エレクトーンユニットYOSHIKO&RICOをお招きいただきました。
ご本尊様の前で、YOSHIKO&RICOにとって、初めてのお寺ライブでした〜♪

檀家の皆様など約100名の方が集まっての賑やかで楽しい春彼岸ライブとなりました。
ご先祖の皆様も一緒に手拍子しながら喜んでくださっているようなそんなあたたかい空気に包まれました。
YOSHIKO&RICOの選曲は、皆様に喜んでいただくことができました。

YOSHIKO先生が、皆様に「歌いましょう」と言えば、素直に歌うし、「手をあげましょう」と言えば、素直に手をあげるし・・・まるで、教祖様のように見えてしまいました(笑)
一糸乱れぬ団結力は、見事でした〜♪
ライブが終わってから、「エレクトーンっていい音だもんだの〜!歌の先生の『舟唄』だば、八代亜紀より上手いけ〜!」とおばあちゃんからお褒めのお言葉を頂戴しました。
皆様に喜んでいただくことができて嬉しかったです♪

こちらの『白藤山 昌洞院』さんでは、春彼岸と秋彼岸の年2回、このようなライブや落語・講演会など、様々な催しを企画されているそうです。
住職さんのお経や説法をお聞きし、最後には、みんなで昼食弁当をいただいて、檀家さん同士の交流を深める場になっていました。
住職さんは、「この寺は、公民館代わりに使ってほしい」と常に開放されていらっしゃり、普段から、コミュニティーの場として、地域の皆さんが集っていらっしゃるのだそうです。
「今日は、みんなに喜んでもらえてよかったけ〜!ありがとうございました」と御礼のお言葉を頂戴しましいた。
皆様が喜ぶ姿を見て、一番喜んでいらっしゃったのが、住職さんでした。
現在80歳の住職さんは、駒沢短期大学の名誉教授という素晴しい肩書きの持ち主なのですが、ユーモアたっぷりにお話しをされ、皆様の笑いをとっていました。

豪華な天蓋の内側には、天女様が楽しそうに踊っているように見えました。
お彼岸に、ご先祖様と檀家さん達が楽しく過ごせる場を提供されているお寺って素敵ですね!
酒田市内とは違い、『白藤山 昌洞院』さんの周辺は、残雪が山のようにありました。
「雪が溶けたら、ぜひ『庭園』を見に来て下さい」とお声をかけていただきました。
「三つの庭」からなる100トン以上の石が敷き詰められたストーリーのある庭園なのだそうです。
なかなか面白そうですよ!

こちらは、立谷沢川です。
この川は、「平成の名水百選」として、環境省に選定された大変清らかで美しい川です。
雪融け水の勢いを見ていると、春が少しずつ近づいていることを感じました。
しかし、今日は、春彼岸とは思えないぼた雪の降る寒い日でした!
『越冬つばめ』がしっくりくる寒さでしたね♪(笑)
『白藤山 昌洞院』の住職さん、あつ子さん、本日は大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。
おかげさまで、私達も、とてもあたたかい気持ちで楽しくライブをさせていただきました♪

お寺ライブはいいのぉ〜♡
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2014年03月20日
R 割烹食堂/伊豆菊(すし処/武蔵)のお得な『すしランチ』900円


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先日、チョコチョコさんと、割烹食堂/伊豆菊(酒田市中町)でランチをいただきました。
チョコチョコさんは、日替りランチをオーダーしましたが、私は、姉妹店のすし処/武蔵さんの『すしランチ』900円をオーダーしました。
こんなにリーズナブルなお値段で、本格おすしが楽しめるとは、嬉しいですね!
やはり職人さんが握ったしゃりは、違いますね!ネタも、もちろん美味しかったです。

おまけに、お吸い物と水菓子まで付いていました。

伊豆菊へ行けば、名物のカツ丼から本格的なお寿司まで豊富なメニューからリーズナブルなランチを楽しめるので、ありがたいお店です。
夜まで通し営業をされているので、ランチタイムを逃してしまった時、ここを知っていると何かと助かります。
ちょうど13:30に入店することができたので、平日ランチタイムのみのコーヒーをサービスしていただきました。
14:00を過ぎてからも、他のお客様が入店してくるので、私達は、ランチタイム終了だからといっても閉め出されることはないので、安心してゆっくりとおしゃべりを楽しむことができました。
チョコチョコさんのおかげで、新しい世界との出会いをいただいて、これからが、とても楽しみです♪

また、チョコチョコさんの知られざる一面?多面を知ることができて、素晴しい方だなぁ〜と尊敬しました。

私と同じく、チョコチョコさんも、食いしん坊さんのようですので、また、美味しいものをいただきながら、おしゃべりする時間を作れたらいいなぁ〜と思っています。
チョコチョコさんとのご縁をいただけたことに心から感謝しています。

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2014年03月19日
R 寒かった日の『らーめん屋です』さんの絶品「野菜入りみそらーめん」!

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ブログを振り返ると、まるで私は半月ほど旅をしていたように感じてしまいますが、旅行へ行ったのは、たった3泊4日のことで、帰ってきてからは、めまぐるしく仕事をしておりました



確定申告もあり、税理士事務所の皆様には大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。来年は、もっと早く提出するようにと反省していますm(_ _)m
今日も、必死に仕事をしていたため、これと言ったネタはなく・・・そこで、先月の寒い日にいただいた『らーめん屋です』さん(酒田市大町)の野菜入りみそらーめんが美味しかったので、ご紹介します。
しっかりとラードで炒めた野菜のうまみがスープと合わさり、マイルドな味わいのみそらーめんです。
やっぱり美味しかった〜!
クセになる美味しさで、我が両親も度々足を運んでいるようです。
お野菜たっぷりなのに、600円というリーズナブルさが素晴しいです!
4月1日からは、消費税増税で、どれくらいUPするのでしょうか?
実は、この日は、打合せのため、ランチタイムがつぶれてしまい、午後3時近くになってしまいました。
酒田市内では、ランチタイムを外してしまうと食事ができるお店がグッと少なくなってしまいます。
そんな時、『らーめん屋です』さんは、夜まで通し営業をしているのでありがたいです!
この日も、駆け込んで、熱々のらーめんに癒されました。

今は、酒田市内の雪は、ほぼ融けてなくなりました。
そろそろタイヤ交換しても大丈夫かな?
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2014年03月18日
R 長崎・鹿児島・熊本の旅2014vol.9【4日目】長崎/グラバー園(旧グラバー住宅)

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年3月3日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行【4日目】
いよいよ3泊4日の最後のレポートなりました。
長崎といえば、グラバー邸(グラバー園)!
マダム・バタフライことオペラ『蝶々夫人』の物語には、「長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあるお屋敷」という設定になっていますが、それが、このグラバー邸とピタリと一致するということで、園内には、作曲家「プッチーニ」と蝶々夫人を演じた日本人「三浦環」の像があります。

気分はオペラ『蝶々夫人』の世界へということで、こちらのアンティークドレスをレンタルさせていただきました。
レンタル料は、30分500円!安っ!
せっかくグラバー園で記念写真を撮るならば、ドレスを着た方がいいですよね!?
でも、まぶしくて、目が開けられませんでした!


こちらが、オペラ『蝶々夫人』の作曲家「プッチーニ」氏の像です。

『蝶々夫人』を演じた「三浦 環」さんの銅像の前で、記念写真を撮りました。
左から、宮城県石巻市のいな子さん、秋田県由利本荘市の高橋さん、そして、山形県酒田市の私。
出身がバラバラな三人が、おひなまつりの日に、長崎のグラバー園で、アンティークドレスを着て、一緒に写真を撮るだなんて、ご縁とは、本当に不思議なものだとしみじみ思いました。
おひなまつり記念の三人官女?ショットです!(笑)

遠くスコットランドから渡米したトーマス・ブレーク・グラバーが、南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。
当時長崎の街は、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。

トーマス・ブレーク・グラバー氏(1838〜1911)
造船、採炭、製茶貿易業を通して、わが国の近代化に貢献。
国産ビールの育ての親、麒麟の髭はグラバーの髭。
スコットランド出身。1859年安政の開国と同時に来日しグラバー商会を設立しました。
幕末の激動の時代には薩摩藩士らの英国留学を支援するなど、若い志士たちへ多大な援助を惜しみませんでした。
また、維新以降は経済人として、近代技術の導入に大きな貢献をしました。
<グラバー園入園パンフレットより>

チューリップが満開で、とても綺麗でした!


こちらが、旧グラバー住宅(国指定重要文化財)です。
日本で最も古い木造洋風建築で、この一帯は、外国人の居留地でした。

ここに、坂本龍馬をかくまうための屋根裏部屋も用意されていたそうです。
坂本龍馬「亀山社中」は、長崎のグラバー商会からミニエー銃4,300挺、ゲベール銃3,000挺の薩摩藩名義での長州藩への買い付け斡旋に成功したことは有名です。

こちらが、グラバー夫人のツルさんの写真です。
『蝶々夫人』のモデルになったとされる人物です。

グラバー邸が建てられた当時の絵ですが、周りには何もなかったことがわかります。

150年前の西洋料理が再現されていました。
当時の日本人が食べていたものと全く違う料理に、幕末の志士達は驚いたことでしょう。

テラスの向こうに、長崎港が一望できて、素敵過ぎました!


園内には、素晴しい日本庭園もありました!

カメちゃんがとっても可愛くて、思わずパチリ!

旧グラバー邸から、長崎港が一望できました!
お天気がよくて、最高〜♪
長崎港は、外洋の影響を受けず、水深が深いため、大型船舶が安全に入港できる条件を満たした独特の地形を利用した素晴しい港でした。
1571年開港し、オランダや中国、世界との貿易が盛んに行われた港であることに納得しました。
昭和20年(1945年)8月9日、この写真の右の赤い橋の向こうの白黒のコントラストのビルの少し向こう側のあたりの上空400mのところに、原爆が投下されました。
約14万9千人が死没されたという悲しい歴史があります。
このグラバー邸までは、爆風は届かなかったため、グラバー邸は、日本で最も古い木造洋風建築として現在に至っています。
坂本龍馬が、命がけで『薩長同盟』を結び、幕末の志士たちのおかげで、明治新政府が誕生しました。
西南戦争で、武士の世が終わり、その後、大久保利通が凶刃に倒れず、世界に肩を並べられる国づくりが遂行できていれば、軍部が強くなることはなく、この長崎に原爆が投下されるという悲劇はなかっただろうと想像します。
国のリーダーの采配で、国民の幸不幸が左右されることを学ばせていただいた研修旅行でした。
学びの中にも、いな子さんのおかげで、こんなにも楽しい思い出ができたことを大変嬉しく思います。
何度も書きますが、わざわざ石巻から、荘内南洲会の研修旅行にご参加いただいたいな子さん、本当にありがとうございました♡

三菱重工/長崎造船所が一望できました。

豪華客船を造船中のようですね!
完成した豪華客船は見たことがありますが、造船中のところを見たのは初めてでした。
外洋の影響を受けないこういった場所が、造船には適しているのでしょうね。

そして、こちらが、グラバー園で、ただいま人気沸騰中の『ハートストーン』です!
園内に2つのこのようなハート型の敷石を見つけると、恋愛成就になるそうで、若い人たちに大人気なのだそうです。

『ハートストーン』の脇には、恋愛成就を祈願したハート型の札や願い事がたくさん枝に下げられていました。
みなさんの願いが叶うといいですね!

こちらが、2つ目の『ハートストーン』を見つけたのですが・・・「商売上手だなぁ〜」としか感じない自分がちょっぴり悲しかったです。(笑)
お土産コーナーには、『ハートストーン』グッズがいっぱいありましたよ♡

『長崎くんち』の龍踊(じゃおどり)が展示されていました。
機会があれば、長崎くんち&長崎ちゃんぽんのセットで、また訪れてみたいと思いました。

長崎空港から羽田空港へ向かう途中に、ぽっかりと雲海から頭を出した富士山を見て、Ricoママが大感激していました。
羽田空港から庄内空港へ向う時は、東京の夜景が宝石箱のようにまばゆくて、美しかったです。
お世話になりました公益財団法人 荘内南洲会の皆様はじめ、農協観光様、南国交通観光の運転手・バスガイドさん、味園道場・関係者の皆様、その他、観光施設の皆様に、改めて感謝を申し上げます。
そして、3泊4日間、わんこ隊と主人の世話をしてくれた我が父に、心より感謝を申し上げます。
たくさんの方々のおかげで、充実した内容で、楽しい研修旅行をさせていただくことができました。誠にありがとうございました。
長いレポートにお付き合い下さったみなさま方にも、御礼を申し上げます。
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2014年03月17日
R 長崎・鹿児島・熊本の旅2014vol.8【4日目】長崎/出島・ちゃんぽん・大浦天主堂

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年3月3日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行【4日目】
♪ああ〜長崎は〜今日も 雨だった〜ではありませんっ!
爽やかな快晴で、最高のお天気でした!
バスガイドさんも、「こんなによいお天気に恵まれるのは珍しいですよ〜!」と絶賛していました。
今回の研修旅行のおかげで、天草諸島や島原半島、そして長崎の複雑な地形をようやく頭の中にイメージすることができました。

長崎の住宅地は、どこもかしこもこんな感じで、庄内平野に住んでいる私達にとっては、信じられない光景でした。
道路はなく、階段なのです!
現在でも、建築資材は、『馬』で運んでいるそうです。
自家用車を所有している人は少ないのでは?
宅配便や郵便屋さんは、一体どうしているのでしょうか?
わざわざお届けして、留守だったら、めじょけねよの〜!
大きい荷物だったら、どうやって届けるんでしょう??
などといろいろと想像をしてしまいました。

長崎といえば、教科書で習った『出島』ですよね!

出島は、1636年(寛永13年)に、市内に雑居していたポルトガル人を居住させるために築かれた人工の島です。その後、1639年(寛永16年)の鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、出島は一時無人の島になりましたが、1641年(寛永18年)、平戸にあったオランダ商館が出島に移され、以降、開国までの218年間、西欧に開かれた唯一の窓口となり、出島は大きな役割を担いました。
明治以降、出島の周辺の埋立てが進み、1904年(明治37年)に完成した第2期港湾改良工事により、海に浮かぶ扇形の姿は失われ、現在に至っています。
長崎市では、当時の出島の姿を復元するために、平成8年度より19世紀初頭の建造物復元や護岸石垣の顕在化等の整備事業に取組んでいます。<国指定史跡「出島和蘭商館跡」立て看板より>

こちらは、『出島和蘭商館跡』の模型です。
私は、小学校の時に教科書で見て、『出島』という島というイメージから、もっと広範囲なものをイメージしていました。
実際に敷地内を歩いてみると・・・あらら、私の町内よりもはるかに狭いなぁ〜と驚きました!

レンタル着物が、1時間1,000円だったので、着物美人のいな子さんと一緒に着物を着ることにしました。
「15分後には、レンタル着物の団体予約が入っていますから!」と言われたので、大急ぎで、たくさんある中から、パッと着物を手に取り、ササッと着付けていただきました。
いろんな着物があったのですが、せっかくなので、今までに着たことのないような柄の着物を着させて頂きました。
自分でいうのもなんですが、宿屋の女将みたいですよね、私!(笑)
いな子さんも、よく似合うお着物をチョイスされましたよね!

まさか、教科書に載った長崎の『出島』で、いな子さんと一緒に着物姿で記念写真を撮れるとは思っていなかったので、とても嬉しかったです♪
いな子さんといい旅の思い出の写真となりました。

今回、いな子さんから、ツアーに参加していただけたおかげで、楽しさが2倍になったように思います。
一人で着物を着ては、はずかしいだけですからね!
次に団体予約が入っていたのは、中国人観光客でした。
団体に巻き込まれず、ギリギリセーフで、着物が着れてよかったです。

あまり時間がなかったのですが、この格好で、荘内南洲会の阿曽事務局長から、写真を撮って頂きました。
阿曽事務局長の観光時間をうばってしまったようで、ちょっぴり申し訳なく感じながらも、とてもありがたいと思いました。
なぜか、他の観光客たちが、私達の写真を勝手に撮っていましたよ!しょすけ〜!


現在の『出島』を橋の上から撮影するとこんな感じです。
そんなに広くないというのがわかりますよね!
私は、今でも、扇形に島が浮かんでいて、周辺は海だと思っていたのですが、周辺一帯は、すでに埋立てられていて、想像していた教科書の『出島』とはずいぶんとイメージが違っていました。
『出島』以上に、周辺の埋立て技術の素晴しさに驚かされました。

こちらの立派な建物が、昼食会場です。
『四海楼』
四海楼は、明治32年に誕生しましたが、初代は長崎ちゃんぽんの考案者である陳平順です。福建料理と長崎の食材を組み合わせた味わいは多くの人を魅了してきました。<荘内南洲会資料より>

四海楼の5階に通され、そこから一望した『長崎港』と美しさに感動しました!

四海楼では、大皿の中華料理でした。

酢豚にキュウリが入っていましたが、違和感無く、美味しく食べられました。
キュウリをどっさりいただいた時には、こうして頂いてみることにします!

水餃子も出てきました!

『長崎ちゃんぽん』のミルキーなスープの美味しさは絶品でした!
「んめ!」しか言葉で出てきませんでした。

『皿うどん』も登場しました!
濃厚なとんこつの餡とパリパリの揚げ細麺を絡めて食べた時の口の中のハーモニーが、クセになる美味しさでした!
う〜ん、これは、また食べたいです!!!
長崎に来てよかったぁ〜と、本場の味にふれ、しあわせな気持ちになりました。

風水に合せて造られているような建物でした。
屋外には、瓦を使って巨大な龍のモニュメントがありました。
素晴しいですね!

食後の運動です!(苦笑)
『大浦天主堂』へ向って、登り坂を上がります。
庄内人は、こういう坂はなかなか苦手です。

長崎に住めば、自然に足腰が丈夫になるでしょうね!

坂の途中には、お土産屋さんをはじめ、気になる建物がいろいろとありました。
ここで、たっぷり買い物を楽しめそうでした。

坂を登り詰めると、『大浦天主堂』が神々しく迎えて下さいました。
『大浦天主堂』は、長崎県長崎市にあるカトリック教会堂で、元治2年(1865年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり二十六聖人に捧げられていた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
昭和28年(1953年)に国宝に指定された。また、平成19年(2007年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへの掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の一つである。
昭和20年(1945年)8月9日、長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れた。<荘内南洲会資料より>


紀元1865年(慶応元年)2月19日 仏人宣教師プチジャン神父(後の初代長崎司教)により大浦天主堂が建立されたが、同年3月17日天主堂参観の大浦の住民等十数名が、同神父に近づき「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリヤの御像はどこ」と云った彼等は300年に亘る厳しい迫害を堪え忍び、ひそかに守り伝えたカトリックの信仰を表明した日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚歎させた。その感動的な場面をこの碑に再現し、信者発見100周年記念としてこれを建立するものである。1965年3月17日 信者発見100周年行事委員会<記念碑文>

大浦天主堂を拝観する際は、脱帽の上、私語は一切禁止でした。
礼拝堂の正面には、こちらのステンドグラスが美しく輝いておりましたが、カメラ撮影は禁止でしたので、「拝観券」の半券に印刷されていた部分をアップ致します。
長崎に原爆が投下された時に、爆風の影響で、このステンドグラスが割れたそうですが、その後修復され、現在に至るそうです。
この神聖な場所も、原爆の影響を受けたのかと思うと、一瞬で無差別に人の命を奪う原爆の恐ろしさを感じさせられました。

『大浦天主堂』の入口正面のマリア像です。
おだやかで、優しそうで、なんてよいお顔なんでしょう!
しばらく見入ってしまいました。
このマリア様が、どれだけ多くの人々の心を癒してくださったことでしょう。
こういうおだやかな顔で一日を過ごせたら、きっとストレスなく暮らせるのだろうと憧れます。
このマリア像のお顔を拝見したら、やはりキリスト教迫害の歴史はあってはならないことだったと思いました。
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2014年03月16日
R 熊本・長崎・鹿児島の旅2014vol.7【3日目】三角西港・天草・雲仙温泉

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年3月2日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行【3日目】
熊本市の『丸小ホテル』での朝食です!朝からごっつぉですのぉ!
昨夜の米とは、また違う種類で、小粒のお米でした。
庄内米に食べ慣れてしまっているので、外へでると、いろんなお米があることを知る事ができますね!
お世話になったホテルを出発して、『三角(みすみ)西港』へ向いました。

その途中、熊本県宇土市新開町の粟島神社にバスで通りかかると、偶然に、3月1〜3日の3日間だけ行われているミニ鳥居くぐりのお祭りをやっていました。
敏腕バスガイドさんが、機転をきかせ、「これは、神様がみなさんをお呼びになられたということですから、みなさん、ちょっと寄って行きませんか?」と勧めて下さいました。
昨日の雨のおかげで、さわやかな朝だったので、寄ってみましょうということになりました。


狛犬像なのですが、こちらの狛犬は、口を開けている方は、鞠を抑え、口を閉じている方は、子どもを抱えているというのが特徴のようです。
雄雌の違いなのでしょうか?

まずは、無病息災を願いながら、参拝し、お払いをしていただきました。

その後、境内に並ぶミニ鳥居の内側約30cm四方のところを参拝者は、身体をよじらせながらくぐります。

肩が入れば、女性はまず楽勝で通れます。

これで、『満願成就!無病息災!』ヤッター!

秋田県からツアーに参加された男性は、腰がはまり抜け出せないとギャーギャーと大騒ぎ!

身体を回転させながらくぐると抜けることができましたが、やはり、一瞬あせりますよね!(笑)
みんなで、朝からゲラゲラ大笑いして、楽しかったです♪
こういう体験をすると、本当に御利益があるだろうと感じますね!
旅行プランにはないサプライズな出来事だっただけに、とても嬉しい体験となりました。

バスの車窓から、満潮の有明海をパチリ!
よく見ると、電柱が海の中にたくさん立っています。その周りには、船がたくさん浮かんでいます。
干潮時になると、この電柱のあるところに、道路が出現して、トラックが往来するのだそうです。
日本海では決して見ることのない光景を見て、面白いと思いました。

前日の雨が、PM2.5のモヤモヤを綺麗に洗い流してくれました!

有明海の向こうには、島原半島が見えました。
一番高いところが、平成新山でしょうか?
夜には、島原半島に渡り、雲仙温泉に宿泊できるというので、楽しみでした。

熊本県宇城市『三角(みすみ)西港』に到着しました!
三角西港は、明治三大築港の一つの言われ、明治17年から3カ年の歳月と県費30余万円をもって、明治政府から派遣されたオランダ人水理工師ムルドルの設計によって築港された。
明治20年8月開港後は、熊本県唯一の貿易港としてヨーロッパ風の町並みとともに繁栄。岸壁や水路は、1世紀を過ぎた現在も当時のままの姿を留めている。石積みの埠頭と水路、石橋は平成14年12月、国の重要文化財に指定された。平成21年には「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産として世界遺産暫定一覧表に記載された。<三角西港散策マップより>

『ムクドルハウス』(物産館)
三角西港の設計者ムクドルの名にちなんでつけられた三角町の物産館です。
ここで、お土産を買いましたよ〜!熊本県のお土産がたくさんありました。

『三角港築港記念館』(和欄館)(国登録有形文化財)
明治20年より荷役倉庫として使われていた土蔵造りの建物で、平成11年にレストランとして改装。

『浦島屋』
明治26年7月22日、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が長崎からの帰途立ち寄り、「夏の日の夢」と題する紀行文の舞台とした旅館である。平成5年に復元された。
現在は、お洒落なカフェ・レストランとして営業中でした!

『天草五橋』を渡ると、そこからは、『天草四郎』ワールドでした!
バスの車窓から、まずパチリ!

『天草メモリアルホール』に到着しました!
晴れ渡る青空に映えるとっても素敵なデザインの建物でした。
『天草メモリアルホール』
南蛮文化とキリスト教伝来の様子を映像などのメディアと資料で紹介する歴史テーマ館。天草四郎を中心とした天草・島原の乱は、自由平等を求めた戦いであったことを今に伝える立体映像やジオラマは、見る人の心を打ちます。<荘内南洲会資料より>

『天草四郎』
本名を益田四郎時貞といい、元和7年(1621年)江部村(現在の宇土市旭町江部)に生まれます。
父益田甚兵衛は、キリシタン(切支丹)大名小西名行長の元家臣で、小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。家族ともに敬虔なキリシタン信徒でした。
当時の天草・島原地方は、飢饉や重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達していました。
その不満を抑えていたのが、慶長18年(1613年)マルコス宣教師が追放される時残した予言「25年後に神の子が出現して人々を救う。」人々は神の子の出現に懸けていたのです。
予言にある25年目の寛永14年(1637年)長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂されます。
四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は、天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられるのであります。
慶長6年(1601年)島津家主の寺沢広高が旧小西領だった天草を統治します。
その際、領内の石高を定めますが、耕地面積に乏しい天草にとって、4万2千石というのは実情を無視した余りにも課題な数値でありました。
寛永11年(1634年)から続いた大凶作の中でも年貢の取り立ては容赦ありません。生きたまま海に投げ込んだり、火あぶりの刑など想像を絶するキリシタンへの迫害でありました。
このような過酷な徴税と弾圧に耐え切れずに、起こるべくして起きた一揆と宗教戦争が「天草・島原の乱」であります。
寛永14年(1637年)10月、年貢納入期を前に農民が蜂起します。
呼応して天草でも一揆が起こり、島原半島に渡って島原勢と合流することになります。
しかし、正規軍の幕府連合軍(12万人)と素人寄せ集め集団の一揆軍(3万7千人)、力の差は歴然。寛永15年(1638年)2月、島原城落城とともに一揆軍は全滅します。
幕府軍にも8千人という死傷者を出して集結しました。
いつの世も戦いの結末というものは悲惨であります。<荘内南洲会資料より>

こちらは、昼食会場となった『海遊の里・天草パールセンター』前の『天草四郎像』です。後ろに見えるのが、『天草五橋』です。
空から飛んで来た鳩が手に止まり、手のひらに卵を産んだという伝説にちなんで造られた姿ですね!
他にも、天草から伊島という島まで海上を歩いて渡ったとか、海が割れて道ができたとか・・・盲目の少女の目を治したとか・・・
カリスマ性を秘めた伝説の美少年として、今は、天草・島原地方の観光のシンボルとなっています。
至る所に、『天草四郎像』があります。グッズやお土産もいっぱいありました!
そういう意味では、やはりこの土地にとっては、救世主といえるのではないでしょうか?

昼食は、「舟盛定食大漁」でした!
鮮度のよいお刺身やサザエ、あさりたっぷりのお味噌汁は絶品でした!日本海のとれたての美味しさになじんでいる庄内人も大満足の味わいでした!
やっぱり港町はいいですのぉ〜!

『天草五橋(あまくさごきょう)』一帯は、真珠の養殖が盛んなことから、『天草パールライン』とも呼ばれています。
『海遊の里・天草パールセンター』では、パールコーナーもありました。
見るだけはタダですので、目の保養に、覗かせていただきました。
私がつけても、「豚に真珠かな?」と思いまして、買ってはきませんでした。

その横に展示されていたこちらの『真珠御輿』にビックリしました!

びっしりと真珠が貼付いていました!
こんなセレブな御輿をワッショイなんて、とても怖くてできませんよね!
どうして、真珠で御輿を造ったのかが不思議でした!

島原・天草の乱後、信仰を奪われ、貧困にあえぐ天草を救おうと、渾身の努力を続け、命を賭けて幕府に挑んだ代官・鈴木重成と、兄の鈴木正三和尚、息子の二代目代官鈴木重辰公の像が建てられていました。

続いて向ったのが、『本渡殉教公園・天草キリシタン館』です。
公園内には、殉教戦千人塚、キリシタン墓地、天草キリシタン館があり、毎年殉教祭が催され、宗教を越えた御霊の供養が行われています。
本渡城跡は、キリシタン天草種元が天正17年(1589年)の天草五党の乱で小西行長、加藤清正公に囲まれ領民とたてこもって滅びた居城です。<荘内南洲会資料より>
ここで一番驚いたのは、野外なのにエスカレーターが設置されてあったことです!
雪国では、とても考えられない光景ですよね!
天草には、全く雪が降らないのだそうです。
スノータイヤもいらないのか・・・いいなぁ〜。あ、そろそろタイヤ交換をしなければ!

梅の咲く公園のイエス様。
天草らしい光景ですね。

『アルメイダ記念碑』です。


『天草キリシタン館』前の『天草四郎像』です。
『美少年』ということですが、お顔がそれぞれに違うところが面白いところですね!
それぞれに思い描く『美少年』がこれだけ違うということですね!

『鬼池港』へ向かう途中に通りかかったお寺さんの階段です。
昔は、この階段に十字架が一段ずつ刻まれていて、キリシタン達をこの階段を登らせ、頂上までたどり着いたものは改宗したとみなし、登れない者には、残酷な拷問〜死が待っていたという悲惨な話しをバスガイドさんから教えてもらいました。
キリシタン大名/織田信長が暗殺されなければ、キリシタンの運命もちがっていたはずに違いありません。

キリシタンを改宗させた者にお地蔵様を造らせたら、こんなお地蔵様が出来上がったそうです。
なんとなく、あれ?という感じですよね。
現在、天草には、仏教徒が多いそうです。
キリシタンとは思われたくないということで、玄関のところに、一年中しめ縄を飾っている一般住宅がたくさん見かけられました。
天草=キリシタンと思われるのが嫌だという方もいらっしゃるという表れですから、気をつけなければなりませんね。

島原半島へフェリーで渡るために、『鬼池港』へ到着しました。
ここにも、ありました!『天草四郎像』!

フェリーに乗り、『鬼池港』〜『口之津港』まで約30分の乗船です。
船旅もいいものですね〜!
お天気がよくて気持ちいい〜!

私達がお世話になった南国交通観光のバスも、一緒にフェリーに乗っています!
バスごとフェリーに乗れるので、移動が楽チンです!
有明海は、波が穏やかだったので、船酔いの心配もありませんでした。

『口之津港』から、『雲仙温泉』へ向う途中に、『原城跡』発見!慌ててバスの中からシャッターを切ったので、ブレブレで、ごめんなさい。
『天草・島原の乱』で、篭城した『原城跡』はここだったんですね!
よくここまで、天草のキリシタンや農民達が集まったと感心します。
3万7千人の命がここで絶たれました。
その遺体に群がるハエの大群の塊は、対岸からも真っ黒に見えたそうです。
国内に、こんなに悲しい歴史があったとは…二度と繰り返さないためにも、風化させてはならないと思います。
地図で見るのと、実際に自分が移動してみるのとでは、感覚が全く違いますね!
やはり現場に足を運ぶということは、当時の人の心をリアルに感じることができます。

ようやく『雲仙温泉』に到着しました!
『温泉神社』を発見!
さすが、九州五大名湯の一つです。硫黄の匂いに包まれていました。

バスガイドさんから、雲仙『清七地獄』を案内してもらいました。
夕方で、日が傾き、冷たい風が吹き付ける中を歩くのは、とても一人では歩けない場所だと思いました。

『清七地獄』の案内板を読んでみると・・・
豊臣秀吉。徳川家康らの統一権力の時代に、キリスト教を禁じる政策がとられ、キリシタン禁制と呼ばれました。
江戸幕府は、キリストの絵を人々に踏ませる「踏み絵」をさせて信者を見つけ出し、この雲仙で、処刑しました。
キリシタンで長崎に住む清七という男が捕らえられ、処刑されましたが、そのころにこの地獄が噴出したといわれ、この名がつけられました。
雲仙がキリシタンの処刑場所であったことを初めて知りました。
私が雲仙に対するイメージは、「雲仙普賢岳土石流」のニュースだけでしたので。
あの時は、仙台に住んでいて、集めた義援金を雲仙市へ送った記憶があります。

宿泊先は、雲仙温泉『ホテル東洋館』でした。
お部屋から見た眺めです。
おしどり池のグリーンが神秘的でした。

お楽しみの夕食です。
バスガイドさんから、「きっと今夜は、『具雑煮』がでると思います」と言われていた通りに、『具雑煮』がセッティングされてありました。(写真左上)
『具雑煮』とは、島原半島の郷土料理で、島原の乱で、原城篭城軍が、もちを兵糧して貯えさせ、いろいろな材料を集めて雑煮に入れて食べたことが起源になっています。
もちろん、当時は、こんなに豪華な『具雑煮』ではなかったと思いますが、それはさておき、美味しく楽しい宴を楽しませていただきました。



これに、御飯とお味噌汁、香の物、スイーツが付きました。
お腹いっぱい、美味しくいただける幸せをかみしめました。
名湯も楽しませていただき、お肌もつるつるになりました〜!
やっぱり温泉はいいのぉ〜!
旅行中は、睡眠時間もたっぷりとれて、お肌の状態も最高でした!
ああ、今日も寝不足でブログアップしてしまいました。



旅レポはあともう少し!これは、己の修行だと思って、最後まで頑張ります!
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2014年03月15日
R 熊本・長崎・鹿児島の旅2014vol.6【2日目】田原坂・熊本城・加藤神社

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年3月1日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行『明治維新の先賢に学ぶ旅』【2日目】
九州自動車道をバスで北上し、鹿児島県から熊本県入りすると、バスガイドさんから、「サービスエリアでトイレ休憩したら、『熊本名物/いきなり団子』をぜひ買って食べてみてください」と言われました。
初めて耳にした『いきなり団子』というネーミングにそそられて、売り場へ行ってみました。

この写真の「みたらし団子」のPOPが邪魔なのですが、『いきなり団子』とは、串にささっている団子ではなく、饅頭のような大きさと形をしていました。
蒸気が吹き出している蒸篭で蒸し上げたばかりのあたたかい『いきなり団子』を販売していました。

こちらは、サンプルなのですが、このようにいろんな種類が販売されていました。
私は、スタンダードな白い『いきなり団子』を購入してみました。
小麦を練ったもので包まれている中には、サツマイモとあんこが入っているというシンプルな組み合わせの団子でした。
このシンプルな素材が、ベストミックス!!!
素朴な蒸かしイモとあんこともっちりとした皮の美味しさにハマりました!
お土産に買いたいほどだったのですが、「本日中にお召し上がり下さい」ということで、断念しました。
やはり、蒸かしたてのあったかくてほわほわした美味しさが、この『いきなり団子』の魅力なんですよね!
『いきなり団子』とは、その名のごとく、いきなり訪問したお客様に何かお出しするものはないかといった時に、サツマイモに小麦粉を練った皮を包んで蒸かしておもてなしをしたのがはじまりなのだそうです。最初は、小麦粉は塩だけで練ったものだったそうですが、今では、あんこを入れて熊本名物として知られるようになったそうです。
もっとたくさん食べたかったけれど・・・三時のおやつを食べ過ぎると、夜の宴会のお料理を食べられなくなるので、我慢しました!
『いきなり団子』をもっとたくさん食べたかったなぁ〜!本当に美味しかったです♡
九州自動車道を北上する途中で、「五木の子守唄」で知られる『五木村』を通過しました。写真を撮りたかったのですが、私の座席の反対側の車窓であったため、撮影することができなくて、残念でした。
バスガイドさんから、昔の『五木村』の過酷な暮らしぶりのお話しをお聞きし、「五木の子守唄」を歌っていただきました。
「振り米(ごめ)」といって、竹筒にわずかの米を入れて、死期が迫った人に「これが米の音だよ」と音だけを聞かせたのだそうです。
「おしん」の実家も、貧しい小作の家庭でしたが、おしんのおばあちゃんが最期を迎える時には、白がゆを炊いて、人生最後の贅沢だと食べさせるシーンがありました。しかし、『五木村』では、その最期に食べさせるお米すらない貧困した土地だったということで、「振り米(ごめ)」の音だけを聞かせたのだそうです。
以前、「竹田の子守唄」をライブでやったことがありましたが、歌詞の内容は、「五木の子守唄」とほぼ同じだったので驚きました。
今では、身分の差があった時代のことを知らない世代の方が多数ですが、「五木の子守唄」などで、そういう時代があったことを思い出すことは大切なことだと感じました。
また、「竹田の子守唄」をライブでやってみようかしら?

熊本県熊本市植木町にある『田原坂(たばるざか)資料館』へ到着しました。
まず、目に飛び込んできたのが、こちらの『弾痕の家』です。
この家は、田原坂の頂上にあったものを移築したものとのこと。
600万発もの砲弾が飛び交ったという国内最大で、西南戦争最大の激戦地となった『田原坂の戦い』を象徴する建物ですね。

『西南戦争戦没者慰霊之碑』には、官軍と薩軍両方の戦没者の名前が刻まれていました。

『田原坂の戦い』は、1877年3月4日〜3月20までの17日間の戦いをいいます。この戦いで薩軍は多くの精鋭を失い、以後敗走を続けました。西南戦争中最大の激戦地であり、勝敗を決する戦いでした。
この戦いで、荘内藩士/伴 兼之は戦死してしまいます。享年20歳でした。
一緒に戦った荘内藩士/榊原政治は、後の5月10日、延岡の薩軍病院で亡くなりました。享年18歳でした。

『田原坂公園』のこちらの美少年の像は、薩軍、村田新八の息子さんがモデルとされています。
海外留学をしたエリート美少年であったそうですが、この『田原坂の戦い』で、命を落としました。
一
雨は降る降る じんばは濡れる
越すに越されぬ 田原坂
二
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年
三
山にしかばね 川に血流る
肥薩の天地 秋さびし

この写真の先が『田原坂』です。
加藤清正公が造りあげた『人工坂』で、ここで、薩軍は、官軍を阻止するための激闘を繰り広げたのですが・・・
薩軍の兵器は、官軍に比べて旧式であったため、雨が続き、劣勢に追い込まれたと言われています。
また、薩軍は袴姿だったということで、雨に濡れると袴は重くなり、身動きにも影響したそうです。
「雨さえ降らなければ!」薩軍が優勢のまま進んだかもしれない戦いだったと言われています。

西郷先生は、この西南戦争では、一切指揮をしませんでした。
「武士の世を終わらせるために、あえて指揮をされなかったのだろう」と私は、感じています。




『空中かちあい弾』が展示してありました。
激戦地だったことを象徴するものだと思います。
実際に『田原坂』へ足を運んだことで、この西南戦争が、今日の日本にどんな影響を与えたかということを学ぶことができました。

資料館の中に、焼失前の熊本城の写真を発見しました。
西南戦争で、一部の建物を残して、天守を含む御殿など主要な建物を焼失しています。
熊本城は、中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて『加藤清正公』がこれに取り込み、現在のような熊本城を築いております。
江戸時代、熊本藩の歴史の大半を占めたのは細川氏でありましたが、西南戦争で天守が焼失する様を地元の人は「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…」と悲しんだと言われます。
西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷先生は、「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。加藤清正公に負けたとでごわす」と言ったといわれています。

そして、いよいよ日本三大名城『熊本城』へやってきました!
雨の上に、夕方5時ということで、薄暗い雰囲気の中での見学となりました。
逆に、他の観光客で混んでいなくて、よかったのかもしれません。

「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価があります。
実際にこの石垣のスケールを見て、「ねずみ返し」ならぬ「武者返し」と言われていることがよく分かりました!
刀を携えて、この石垣をよじのぼれませんってばっ!
しかも、上から石を落とせるようになっているし・・・
この石垣は、3分の2の高さしか見えていないのだそうです。
あとの3分の1は、地中に埋まっているとのこと。
重機の無かった時代に、一体どうやって築いたのでしょうか?
『加藤清正公』の鉄壁の城造りには感動しました!

私が想像していたスケール以上のお城でした!
写真ではわかりませんね!
実際に『熊本城』へ行けてよかったと思いますが・・・私は、『熊本城』となりの『加藤神社』へ行きたかったため、天守閣へ登るのは断念しました。
ツアーの限られた時間内では仕方がありません。

『熊本城』の敷地にはたくさんの銀杏が植えられています。
それは、兵糧に備えて、実のなる木を清正公が植えさせたのだそうです。
ちなみにこの写真左の銀杏の樹ですが・・・

ここは築城当時本丸御殿の庭があった場所で、この銀杏の古木は、加藤清正が築城を記念してお手植えになったと伝えられています。清正が亡くなるときに、この銀杏の樹が天守閣と同じ高さになったときに何か異変が起こるであろうと予言し、それは奇しくも、明治10年の西南戦争の時であったと言われています。西南戦争の際、天守閣や本丸御殿と共に、この樹も焼失しましたが、幸いにも焼け残った根元からでた脇芽が成長し今ではこのように大きく茂っています。熊本城は別名「銀杏城」とも呼ばれ、毎年晩秋には黄金色に色づいた銀杏の葉と黒と白の天守閣との素晴しい色合いは訪れる人の目を喜ばせています。

顔ハメ看板を発見!
バスガイドさんから、記念写真をパチリと撮っていただきました!
天守閣が欠けてしまって、残念〜!

「加藤清正公になりきった顔にしたよ!」とRicoママ。あまりのハマリ過ぎに、写真を見たとたんに吹き出してしまいました!

「私の方は、宮本武蔵なんだけど、なんだか変だよの!?」と、よくよく写真を見てみたら、「あ〜!加藤清正公の足元に、宮本武蔵の頭の部分がおぢっだ〜!!!」というとんでもないオチがありました!(爆笑)
「なんだか、珍道中っぽい記念写真でいあんねがの!」ってことで(笑)

ここでも、『熊本名物/いきなり団子』を発見!
『くまモン』かわいい〜♪
熊本では、『くまモン』グッズだらけでしたよ!

『熊本城』の隣にある『加藤神社』はこちらです。

『加藤清正公』が祀られている神社です。
ここに参拝してから、地元庄内にある『加藤清正公墓所』へ参拝したいと思っていたので、念願の一つが叶って嬉しいです。
これだけ素晴しい『熊本城』と『田原坂』を築かれた『加藤清正公』の『加藤神社』には、土木業関係の方々が多く参拝され、業績を伸ばしていらっしゃるというお話しをバスガイドさんからお聞きしました。
土木業関係のみなさま、『熊本城』へ行かれた際には、『加藤神社』への参拝をお忘れなく〜!


『加藤神社』境内にあるこちらの銀杏の樹も、『清正公お手植えの樹』ということです。
この樹から発せられるパワーがすごかったです!
銀杏の樹のイメージが変わりました!


こちらの見過ごしてしまいそうになった松の木は、加藤清正の嫡子が配流の地・山形県鶴岡市『丸岡城跡』から眺望される金峰山の松を移植したものだそうです。
ここにも、我が庄内とのつながりを発見することができて嬉しく思いました。

改めて『熊本城』を眺めてみると、『加藤清正公』の素晴しさを感じました。
ここを攻め落とせなかった薩摩軍の気持ちがわかりました。
あたたかくなったら、鶴岡市にある『加藤清正公』の墓所に足を運んでみたいと思います。
なぜ、『加藤清正公』の墓所が鶴岡市にあるのか?という詳細レポを楽しみにしていて下さいね♪
PM2.5の影響で、お城が、ぼんやりと霞んでいました。阿蘇山を眺めることもできませんでした。
しかし、この雨が、PM2.5を洗い落としてくれた恵みの雨となりました。

2日目に宿泊したホテルは、城下町熊本で、明治21年創業の『丸小ホテル』という歴史のある旅館でした。

『からしレンコン』が美味しかった〜!

お刺身も新鮮で、美味しかったですよ!

牛肉も柔らかかった〜♡

炊き込みご飯のお米が、珍しい形をしていましたが、しっかりと味がついていて美味しかったです。

牛すきもありました。やっぱり、おやつの「いきなり団子」を1個でやめていてよかったです!
お腹がいっぱいでした〜!
お部屋は、4人部屋で、私達母娘といな子さん、そして、田原坂からこのツアーに参加された北九州市小倉の古川さんと一緒になりました。
古川さんとは、昨年も沖永良部島と沖縄を御一緒させていただいたので、再会できたことがとても嬉しかったです。
歴史好きの古川さんが、このツアーの下調べにご尽力下さっているおかげで、充実した内容で、楽しい旅を満喫させていただいております。
楽しませていただけるということは、誰かが大変な思いをして下さるおかげなんですよね!
だからこそ、私は、御礼の気持ちを込めて、旅レポを頑張らせていただいております!
古川さんの職場のみなさんも、北九州市から、このブログをご覧頂いていることを知り、ますます頑張らなければ!と励ましをいただきました。

「古川さんの職場のみなさまへ、
いつも当ブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
庄内弁は難しいかもしれませんが、これからも、どうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m」
小倉の古川さんと石巻のいな子さんの間にも、ビックリするような共通点があり、4人部屋もまたいいものだなぁ〜と楽しい会話で盛り上がりました♡
さあ、明日からは、いよいよ旅の3日目のレポとなります!
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2014年03月14日
R 鹿児島・熊本・長崎の旅2014vol.5【2日目】仙巌園・尚古集成館

2014年3月1日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行『明治維新の先賢に学ぶ旅』【2日目】
日本空手道少林流円心会『味園博之道場』を出発してから向った先は、仙巌園(せんがんえん)です。
寒緋桜(カンヒザクラ)が満開で、一足早いお花見を楽しませていただきました。
ソメイヨシノに比べて、色が濃く、とても鮮やかで美しい桜です。

仙巌園入口正面には、第17代当主/島津義弘公所用の鎧写が展示してあります。

兜に「白狐」の飾りが付いているのが特徴です。
島津氏の初代の忠久は、源頼朝と比企能員(ひきよしかず)の妹の丹後の局(つぼね)との間に生まれたという伝説があります。
丹後の局は北条政子の嫉妬を恐れて上方に逃れました。そして大阪の住吉大社で大雨のなか産気づき、狐火(きつねび)の明かりの下で無事に忠久を出産したと言われているということで、兜に「白狐」の飾りが付いているのだそうです。
『狐火(きつねび)の明かりの下で無事出産』という妖艶なエピソードで、島津家初代当主が誕生したというお話しは初耳でした!
物知りバスガイドさんから教えていただきました。

レストラン『松風亭』で昼食。
ここで、昨年もいただきましたが、ここのお料理は美味しいです!
さつま揚げをはじめ、生姜入りのお味噌汁など、とてもよいお味です。


仙巌園から望む桜島を楽しみにしていたのですが、PM2.5の影響で、全く見えなくて、残念でした。
私は、昨年、見れたのでよいのですが、今回、ツアーに初参加して下さったいな子さんに噴煙上がる桜島の姿をお見せすることができなくて、気の毒でなりませんでした。
これはきっと、「もう一度、いな子さんと一緒に鹿児島にいらっしゃいね!」という意味ではないでしょうか?

これは、島津家の家紋ですが、元々は、「十」だけの家紋だったそうです。
ザビエルが、キリスト教を伝えるため来日した際に、薩摩藩にはたくさんのキリシタンがいると勘違いしたというエピソードもあり、やがて、島津家の家紋は、「丸に十」に変わったそうです。
昔から、「丸に十」ではなかったとは、驚きでした。

こちらは、1658年(万治元年)、島津家第19代当主/光久公が、別邸として築造した御殿です。
現在は、鹿児島を代表する観光地になっています。
島津家第28代当主/斉彬公は、この地を愛し、篤姫、勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世など、多くの方が、ここを訪れたそうです。
いわば、薩摩藩の迎賓館的な役割をしたところです。
ここから見える桜島を築山に、錦江湾を池に見立てたスケールの大きな庭園を眺めていると、優雅な気持ちになります。

ギネスに認定された世界一大きい大根『桜島大根』が展示してありました。
見た目以上に重いので、ビックリします。
これを包丁で切るのは、大変そうですよね?

ここからは、『尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)』の説明となります。
幕末、藩主斉彬はこの地に東洋最大の工場群『集成館』を築きます。製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などのガラス、薩摩焼の研究・製造を行い、写真、電信、ガス灯などの実験・研究も盛んに行いました。欧米列強による植民地化をおそれいち早く強く豊かな国づくりを目指したのです。斉彬の急死によって事業は縮小されますが、29代忠義は父久光とともに集成館事業を再興。機械工場(現、尚古集成館本館)を建設し、日本初の様式紡績工場「鹿児島紡績所」を設立しました。2009年に旧集成館(史跡)や旧集成館機械工場を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が、世界遺産の暫定リストに記載されました。日本を強く豊かな国したいという斉彬たちの熱い思いが今、世界から注目されています。<仙巌園・尚古集成館ご案内マップより>
『尚古集成館』の副館長さんから、ご案内をいただきました。
大変、詳しくわかりやすいご説明で、大変勉強になりました。
日本が鎖国をしていた時代に、なんと薩摩藩は、貿易を行い、ペリー来航よりも30年も前から、日本を植民地化から守りたいという思いで、近代化産業を推進していたのだそうです。
薩摩藩では、西洋的な食事(肉食)をしていたのでは?とも言われ、栄養状態が良かったために、西郷先生はじめ、薩摩藩の人間は、体格がよかったのかもしれないというお話しでした。
確かに、西郷先生も大久保先生も、178cmと長身でした。
島津家当主の中には、190cm以上あった方もいらっしゃったそうで、日本人の平均身長をはるかに上回っていました。

副館長さん(写真右)から、ご案内をいただいていると、なんとそこに、島津家第32代当主/島津修久公(写真左)が、お越し下さいました!

『荘内南洲会』一行が、仙巌園を見学しているということで、わざわざご挨拶のために、お越し下さったというので驚きました。
現在でも、『旧薩摩藩/島津家』と『旧荘内藩/酒井家』と『荘内南洲会』との交友があるからなのでしょう。
なんとなく、私のような分際がこのツアーに参加していることが、申し訳なく感じてしまいました。

それにしても、なんという気品高いオーラがある方なんでしょう!
優しい笑顔で迎えていただきましたことに、心より感謝を申し上げます。

続いて、副館長さんからご案内いただいたのは、こちらの『尚古集成館別館』です。
外観の写真を撮ろうと思ったら、なぜか、袴姿の少年が舞っていたので、ビックリしました。
この子は、一体どこの子だったんでしょうか?
ちょうどひな祭りということで、別館には、島津家に伝わる横幅5mもある巨大なひな人形が展示されていました。
残念ながら、館内は撮影禁止ということで、みなさまにはお見せすることができません。
ひな祭り時期に訪問することができて、ラッキーだと思いました。
ひな飾りの豪華さにも、驚きました。
庄内ひな街道とは、全く別の印象のひな人形でしたよ♪

こちらは、『尚古集成館本館』の入口です。
ここから先は、撮影禁止でした。
当時の世界地図が展示されてあったのですが、九州はしっかり描かれているのですが、それ以外は、適当過ぎる描かれ方だったのが、印象的でした。
鎖国している部分の日本は地図として描かれなかったのは納得しますね!
薩摩で、近代化産業が進められていなかったら、日本も植民地化され、今のように先進国にはなっていなかっただろうと言われています。私は、生まれてから「先進国日本が当たり前」の感覚なのですが、それは、薩摩の先人達の努力のおかげであることを知る事ができました。
薩摩の人々は、薩摩藩だけのことではなく、日本を世界から守ろうとして下さったのですね!
それを知ってありがたいと思いました。
旅行記のブログレポに時間がかかっていますが、せっかく現地で知り得たことを忘れないように丁寧に記録したいと思っています。
そして、少しでも多くの方に、九州の素晴しさをお伝えできればと願っています。
もうしばらくお付き合い下さいませ。
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2014年03月13日
R 鹿児島・熊本・長崎の旅2014vol.4【1〜2日目】味園道場のみなさんとの交流

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年2月28日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行『明治維新の先賢に学ぶ旅』【1日目】の宿泊先は、鹿児島市内の『サンロイヤルホテル』でした。
ホテルのみなさんの接客が気持ちよく、快適なホテルでした。
お部屋からも、桜島が見えるはずなのですが・・・PM2.5で、桜島がすっぽり隠れてしまいました!

桜島がPM2.5で見えないという事態になるとは、想定外でした。
中国の環境汚染は、対岸の火事ではないという深刻さを感じました。

桜島を眺めながら入れる温泉浴場もあったのですが、残念でした。

18:30〜 日本空手道少林流円心会『味園博之道場』の諸先生方等との交流会が開催されました。
席順があらかじめ決められていたのですが、私は、なんと一番前のテーブルで、しかも、味園先生の隣で、恐縮してしまいました。

でも、そのおかげで、鹿児島市在住の西郷隆盛先生研究家の安川あかね先生による『薩摩が誇る究極の英雄・西郷隆盛』という手作りの紙芝居を間近で拝見させていただくことができました。
安川先生は、西郷先生が、大好きで大好きで・・・そのため、いつも西郷先生を感じられる鹿児島に移住されたのだそうです。
そういう女性が今でもいらっしゃるということが、凄いことだと思います。
昨年も紙芝居を披露していただきましたが、今年は、また描き直した紙芝居で、お話しをして下さいました。

西郷先生のプロフィールから始まります。
さすが、西郷先生の研究家!いろんなことをよくご存知で驚きました!
西郷先生は、B型。大久保先生は、O型ということで、なんとなくわかるような気がします。

薩摩藩武士は、『郷中(ごじゅう)教育』で、子供達を育てました。
ここに、薩摩から偉人がたくさん誕生した理由があるのですね!

下級武士であった西郷吉之助が、島津斉彬公と初めて対面した場面です。
斉彬公が西郷先生を見出して下さらなければ、日本は、どうなっていたかわかりません。

西郷先生と月照上人が、錦江湾に入水したお話しです。
このように、わかりやすく紙芝居で西郷先生の生涯を多くの方々にお伝えしていただけることは、本当にありがたいと思います。
「銅像や名前は知っているけれど、どんな人かはよくわからない」という人が多いことでしょう。
私も、その一人でしたから。


鹿児島へ行くたびに、西郷先生の素晴しさを知ることができ、とてもありがたいと思います。

味園道場のみなさまから、『小松帯刀』という薩摩焼酎を頂戴しました。
荘内南洲会からは、庄内の日本酒が届いていました。
銘酒の交流というのも素敵ですね♪





次々に運ばれてくるお料理を美味しくいただきながら、お隣の味園先生から、いろんなお話しをお聞きし、大変ありがたかったです。
味園先生は、並々ならぬ努力と勤勉を重ねられて、今のような立派なお方になられたのだということを知りました。
空手だけでなく、日本舞踊や社交ダンスなど、いろんなことをされるというお話しに驚いていたら・・・

なんと、39歳の時に、女形で踊られているこちらの貴重な写真を見せて下さいました。
「ええ〜!別人過ぎる〜!美しくてビックリ!本当に、これ、味園先生ですか?」と思わず聞いてしまいました。

現在の味園先生は、この写真の前列右から3番目の方です!
私の父よりも一つ上だそうですが、やはり姿勢がピシッとしているので、若々しく感じました。
味園道場の諸先生方が、歓迎の意味を込めて、吟じて下さいました。

味園道場の新星!幼稚園年長組の森永礼弥くん(6歳)による『空手の舞』が披露されました。
曲の歌詞に、「黒帯しめて〜♪」と出てくるので、特別に『黒帯』をしめさせてもらい、とても嬉しそうでした。
可愛いなぁ〜と思っていたのですが、演舞が始まると、この通りの真剣なまなざしと機敏な動作で、とても6歳には見えませんでした。
昨年、味園道場を訪問させていただいた時にも、たしかに、礼弥くんがいましたが、普通の子どもだったので、この一年でのこの成長ぶりに感動しました!

円心会後援会の森永ひとみ先生による歓迎の日本舞踊をご披露いただきました。
先ほどの礼弥くんの祖母ということで、なるほど、踊りの先生の血筋なわけですね〜!
こちらの森永先生からは、後ほど、『鹿児島おはら節』の踊り方をご指導いただきました。
そして、翌日、荘内南洲会のバスが、鹿児島市内を走っていたら、スーパーの前の交差点に立たれていらっしゃったのを目撃して、驚きました!
まさか、鹿児島市内で、偶然にお見かけするとは!


荘内南洲会の一行は、『最上川舟唄』を全員で歌いました!
が、私は、歌えないので、一番後ろに隠れていました。
山形県の唄なのに、歌えないなんて、申し訳ありません。

「エーエンヤーエーエーエンヤーエーエエ エーエエンヤーエードー♪」
ここだけ、みなさんに合せて歌いましたけど。

そして、フィナーレは、会場の全員で、『鹿児島おはら節』を踊りました!
森永先生のわかりやすいご指導のおかげで、楽しく踊ることができました!

昨年は、初参加だったので、わけがわからなかった交流会でしたが、二年目となると、鹿児島の諸先生方との交流の意義がわかり、とても楽しい時間となりました。
まさか、自分が鹿児島で、地元のみなさまと一緒に『鹿児島おはら節』を踊るとは!そして、石巻からご参加下さったいな子さんも一緒に輪になって踊って下さり、とても感動しました!
ご縁って、素晴しいなぁ〜と。
とても楽しい交流会を誠にありがとうございました。

2014年3月1日【旅行2日目の朝】
旅行中は、就寝時間が早くて、快眠でした!
朝のバイキング料理もおいしくて、ついつい食べ過ぎ!(笑)
おかげで、この旅行で、体重がど〜んと増えてしまいました!ヤバイ!



ホテルを出発して、日本空手道少林流『味園道場』を訪問させていただきました。
バスが到着する前から、諸先生はじめ、門下生(子供達)、そして、その親御さん達が、手作りの旗を振りながら待ち、歓迎をして下さいました。
肌寒い朝だったので、もっけだけ〜!

『味園道場』は、南洲翁遺訓を取り入れた文武両道の教えを実践されている貴重な道場です。
子供達が、南洲翁遺訓を暗記して、読み上げる様子を拝見していると、私自身の不勉強さが恥ずかしくなってしまいました。
私の目の前で、型を披露してくれる礼弥くんの姿は、そこだけ空気が違って見えました。
私は、空手のことは全くわからないのですが、氣というものは、感じるものですね!
でも、他の子供達も、1年前に比べると、グンと成長していることがわかりました!
我が子を見るような気持ちで、楽しく拝見をさせていただきました。

昨年同様に、『空手の舞』を披露してくれた中学一年生の中島瑠果さんです。
彼女は、1年半前にこちらの道場へ入門し、たった一日で、南洲翁遺訓を覚えてしまったという天才少女です!
迫真の演舞に、誰もが、惹きつけられてしまいます。
空手道場で、演舞というのは、大変珍しいことで、それは、味園先生が、かつて女形をされていた経験があるからこそ、所作を指導することができるのだと思います。

師範の先生方の型の披露もありました。
なんと言っても、味園先生の腹からの気合いの声には、ハッとさせられました。
気合いには、年齢は関係はないものなのですね!
昨晩の交流会では、「普通の人」だったのが、空手となると別人のように変化するところが、みなさん素晴しかったです。
もっとたくさんの型の披露があったのですが、あまりにも真剣な気合いを感じて、シャッター音が立てられない場面が多々ありました。写真を撮れなかったみなさま、申し訳ありませんでした。
それだけ、迫真の氣を感じたということで、ご理解下さいませ。

そして、池田敬天くんの作文の発表もありました。
『敬天愛人』の敬天くん!素晴しい名前ですよね!
その名前についての作文だったのですが、これがまた、素晴しい作文で、感動しました。
「今の子ども達は〜」とよく耳にしますが、こちらの『味園道場』の子ども達を見ていると、日本の将来が楽しみになってきます!
小さい頃から、西郷先生の教えを学び育ったら・・・ここから、真のリーダーが誕生するのではないかと、期待せずにはいられません。
『味園道場』と『荘内南洲会』との交流は、14回も続いているそうです。
「『味園道場』のみなさまの成長に負けないように、私も、成長しなければ!」と、とてもよい刺激を頂きました。
「鹿児島のみなさんと交流できる!」これが、このツアーの醍醐味なのだと、実感しました。

そして、こちらの鹿児島銘菓『かるかん』を味園先生から、荘内南洲会の全員に頂戴致しました。
今年、鹿児島で『かるかん』を買う時間がなかったので、嬉しかったです♪
『味園道場』のみなさま、大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。
みなさまのおかげで、鹿児島に親近感をもてるようになりました。
庄内藩士達が、鹿児島へ何度も足を運んだ思いが理解できるようになりました。
当時、西郷先生はじめ、薩摩のみなさまが、庄内藩士達をあたたかく歓迎して下さったのでしょうね。
このご縁を結んでくださった西郷先生はじめ、すべてのみなさまに心より感謝を申し上げます。
最後に、日本空手道少林流円心会『味園道場』の味園博之先生のブログをご紹介させていただきます。
味園博之先生のブログー文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう
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2014年03月11日
R 震災から3年。My便利防災グッズのご紹介

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


東日本大震災から丸3年となりました。
多くの犠牲者のみなさまのご冥福と共に、被災されたみなさまの復興を心よりお祈り申し上げます。
あの日は、酒田市内も停電になりました。
幸いにも、家族全員+わんこ隊が家に揃っていた時なので、心細い思いをせずに済みました。
夜になり真っ暗になりました。
非常時のために用意していた反射式ストーブが役立ちました。
そして、この写真の譜面用のライトがとても役に立ちました!
単4電池2本のLEDライトなのですが、1つずつにスイッチが付いているので、片方だけの点灯も可能です。
スネークタイプなので、好きな角度に首を振る事ができ、卓上スタンドのように置き型にして、使う事もできました。
何よりも便利だったのが、クリップタイプになっているところです。
洋服にパチンと挟めば、両手が自由に使えます!
台所へ行きたいとき、トイレに行きたいとき、とにかく、一人に1個パチンと服にとめることで、かなり快適に過ごすことができました。
震災があってから、この譜面用のライトは、いつでも使える場所に置いておく事にしようと決めたはずなのですが・・・すっかり忘れていたことに気がつきました。
時間が経つと共に、防災の意識は薄らいでしまいますね。もう一度、備えあれば憂いなしの気持ちで、チェックしたいと思います。
賞味期限切れのカンバンは、要注意です!(笑)
今年の2月に被災者支援コンサートで演奏をさせていただいた時のことが頭から離れません。
エレクトーンとオカリナの音色での演奏が始まったとたんに、涙腺が崩壊している被災者の皆様の姿には、本当に驚きました。
お一人お一人、それぞれの中に、いろんなものを抱えて生きていらっしゃるのだろうということを思いやってあげることしかできませんでした。
でも、最後には、楽しそうにみなさんのお顔の色がよくなっていました。
泣いたり笑ったり、最後までライブを楽しんでいただき、「今度いつ来るの?」と、ありがたいお言葉まで頂戴して、音楽の素晴しさに、私達も感激致しました。
震災の特番テレビには、元気に頑張っていらっしゃる被災者さんの様子が映し出されています。しかし、それは、氷山の一角で、多くのみなさんが、ひきこもった状態になっていて、心の復興が叫ばれています。
震災がきっかけで誕生したオカリナ&エレクトーン女性音楽ユニット『ルリアール』ですが、昨年、被災地への慰問は、仙台市内の仮設住宅へ1回しか行くことができませんでした。
いろいろなことで忙しすぎて、なかなか時間がとれなかった現状を考えると、もう少し、これまでやってきた様々な活動をセーブして、被災地へ慰問演奏できるようにしていきたいと思っています。
被災されたみなさまの心のケアは、急務だと感じています。
私達の演奏を必要として下さる方々のところへ、届けてあげたい。
あの日のことを思い出し、改めて私にできることで、支援をし続けたいと思います。
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2014年03月10日
R 鹿児島・熊本・長崎の旅2014vol.3【1日目】鹿児島市内西郷隆盛史跡めぐり

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


2014年2月28日
公益財団法人 荘内南洲会主催の研修旅行『明治維新の先賢に学ぶ旅』【1日目】
『維新ふるさと館』を出てから、鹿児島市内の至る所にある西郷隆盛先生の史跡めぐりをしました。
こちらは、鹿児島市内にある西郷隆盛先生の軍服姿の銅像です。
これも、かなり巨大な銅像です。
西郷先生の生前の写真は、未だに1枚も見つかっていないということで、銅像のお顔は、それぞれに違うのが特徴です。

こちらは、西郷隆盛先生の生誕の地です。
『西郷先生生誕の地』西郷先生は、文政10年(1827年)12月7日に誕生しました。
誕生の下加冶屋町は、75戸の下級武士の街で、大久保利通、西郷従道、大山巌、東郷平八郎など多くの英傑を輩出されています。
<公益財団法人 荘内南洲会資料より>

このように、鹿児島市内には、偉人生誕の地がたくさんあります。
まさに、偉人のまちですね!
私個人的には、大久保利通の生誕の地と大久保利通の像へ、一度行ってみたいのですが・・・荘内南洲会の研修旅行では、無理でしょうか?

続いて、『南洲神社』の拝殿にて、正式参拝をさせていただきました。
拝殿内にあるこちらの銅像は、西郷先生生誕180年を記念して建てられたものです。
西郷先生のひ孫にあたる陶芸家/西郷隆文氏の作品です。
後ろにあるのは、西郷家の家紋なのですが、元々は、「抱き菊の葉に菊」であったそうですが、天皇家が菊の紋を使われているのだからと言って、自ら真ん中にあった菊を取り、「抱き菊の葉」だけの紋にしたというお話しをバスガイドさんからお聞きしました。
謙虚な西郷先生らしいエピソードとして残されています。

境内には、西南戦争で命を落とされた方々の名前が刻まれてありました。
「山形県」伴 兼之、榊原政治とありますが、この二名は、庄内藩士です。

墓地の方へも参拝させていただきました。
こちらは、西郷先生の墓石の正面に刻まれていた家紋です。
これが、菊が入っている西郷家元々の家紋「抱き菊の葉に菊」です。

こちらが庄内藩士二名の墓です。
写真右/伴 兼之 明治10年3月20日、肥後植木にて戦没(享年20歳)
写真左/榊原 政治 明治10年5月10日、延岡病院にて戦没(享年18歳)
明治8年他藩士ながら特に私学校入学を許されました。
西南の役が起こると帰国するよう説得されたが、敢えて従軍し、戦死しました。
この墓石の上の部分の形が違いますが、これには、意味があるのだそうです。
右のように尖っているのは、戦場で即死した場合の形状なのだそうです。
墓石の形の意味も、バスガイドさんから教えていただきました。
今年のバスガイドさんは、とても物知りで、ガイドのプロフェッショナル!という素晴しい方でした。
私は、今回が2度目の鹿児島観光でしたが、新しいことをたくさん教えていただきました。
実は、ここに書き切れないほど、たくさんのことを学ばせていただきました。

二人のお墓の間の向こうに小さな椿の苗木があります。
これは、昨年、鶴岡の『庄内藩校 致道館』敷地内にある「きんぎょ椿」の幼木を植樹させていただいたものです。
ちゃんと根付いていたので、とても嬉しかったです♪
今年は、肥料をまいてきました。
この庄内藩士二名は、『庄内藩校 致道館』で学び、鍛えぬいたエリートだったのです!
学び舎にあった「きんぎょ椿」をお墓のそばに植えてもらい、きっと喜んでいらっしゃるだろうと思います。
この「きんぎょ椿」の花は、何年くらいしたら咲くのでしょうか?
いつかこの「きんぎょ椿」が花咲くことを祈っています。そして、その花を生で見られたら嬉しいですね。
この素晴しい計らいをして下さった鶴岡の方に、心から感謝を申し上げます。

南洲神社で、初めて大久保利通の書を拝見しました。
雅号が、『甲東』であることも、初めて知りました。
先ほどの偉人生誕の地マップを思い出しました。
大久保利通の誕生の地は、西郷先生の生誕の地とは、『甲突川』を挟んだ向こう岸にありました。
そこから、『甲東』という雅号にしたのかな?と推察します。
もう少し、大久保利通のことを知りたいと思っています。

こちらは、『勝 海舟』の歌碑です。
勝 海舟が、私学校生徒に身を委ね生涯を閉じた西郷先生のために詠んだものです。
ぬれぎぬを
干そうともせず
子供らが
なすがまにまに
果てし君かな
勝 海舟

こちらは、『南洲神社』の側にある『西郷南洲顕彰館』です。
『西郷南洲顕彰館』昭和52年に迎えた大西郷百年祭の記念事業として、南洲翁を敬慕する20数万人の人々の浄財により建設されたものです。昭和53年7月より鹿児島市立となり、公益財団法人 西郷南洲顕彰会が管理を受託しています。
顕彰館には、西郷先生の遺品、遺墨、キヨソネの描かれた絵画などが展示されております。
<公益財団法人 荘内南洲会資料より>

城山へバスで移動し、『史跡 西郷隆盛洞窟』を見学しました。
西南の役に西郷先生は、約370名と共にこの地に帰り本営とする。
先生は、9月19日〜24日まで政府軍5万人の猛攻を受けながら、この洞窟で過ごされた。
明治10年9月24日、午前4時に政府軍の城山総攻撃が始まったと言われています。
城山に立てこもる薩摩兵士は、僅か300余名です。これを囲む政府軍は何重もの柵をめぐらし、その数4万以上です。死を決した西郷先生達は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を出ました。
桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部達も一緒です。この日の西郷先生の出で立ちは、妻のイトさんが縫った縞の単衣に白い兵児帯です。
ゆっくりと岩崎谷を下ります。その時、流れ弾が西郷先生の股と腹部に被弾します。そこで、西郷先生は、正座してはるか皇居を拝して「晋ドンもうここらでよか」と別府晋介の介錯を願いました。午前7時頃と言われます。
西郷先生50歳の生涯が閉じられました。
<公益財団法人 荘内南洲会の資料より>

バスの車窓から撮影した『西郷隆盛終焉の地』の石碑です。
バスの社内から、みんなで手を合わせました。

続いて、『武屋敷』へ向いました。
『武屋敷』西郷先生の自宅跡で、現在は公園となっております。庄内の南洲神社と同じ『徳の交わり像』があります。
明治3年から8年にかけ、荘内藩旧藩主はじめ旧藩士が6次に亘りこの武屋敷を訪れ、西郷先生の教えをいただいております。
<公益財団法人 荘内南洲会の資料より>

『徳の交わり像』建立のいきさつか書かれてありました。

『鹿児島市武中学校』と『鶴岡市鶴岡第二中学校』との『兄弟校盟約之碑』を発見しました!
鹿児島と庄内のつながりは、いろいろと広がっていることを知り、嬉しく思いました。

園内には、立派な椿の木があり、白い椿の中に赤い椿が混ざって咲いているのを発見して驚きました。
今もなお、武屋敷に住んでいた人々の思いが命の花を咲かせているように見えました。

こちらは、『クロガネモチ』という「金持ち」に通じる縁起木です。
東北では見かけない木ですが、篤姫様は、この木が大好きだったそうです。


こちらは、西郷先生が使用された井戸です。
明治6年(1873)11月からの約4年間この屋敷で生活された際の、朝夕の洗面、行水などはもちろん、庭先の盆栽、花園への散水や、屋敷一面の畑への給水もすべて、この井戸を使われました。また、自作の野菜などもすべてこの井戸で、西郷先生自ら洗われたことなどを思えば、感慨もひとしおです。

バスの中から、『坂本龍馬新婚の旅の碑』を撮影しました!
坂本龍馬夫妻が、日本で初めて新婚旅行をした夫婦として有名ですよね!
これにて、【1日目】の見学スケジュールは終了しました!
11時半に鹿児島空港に着いてから、これだけ見学させていただいたわけなので、かなりハードスケジュールでした!
しかし、私は、今回が2回目の参加ということで、かなり頭の中で整理ができるようになっていました。
やはり、「知れば知るほど、歴史は面白い!」ということがわかります。
新たな発見がたくさんありました!
今回、この研修旅行に参加したかったけれど、いろいろな理由で、参加できなかった方々がたくさんいます。
私も、仕事が忙しく、参加は正直きつかったのですが、やはり参加させていただいて、よかったと思います。
仕事も大事ですが、自分の性格上、根詰めてしまうところがありますので、全く別の環境に身を置いて、リフレッシュさせていただいたおかげで、己の命をつなぐことができたように思います。
参加させて頂けたことに感謝をして、参加できなかったみなさまのためにも、研修旅行のご報告をブログでさせていただきたいと思っております。
相変わらず、Ricoママは、天然キャラ全開でした!
「PM25だば、やだの!」と言うので、ビックリ!
「お母さん、25でねぐ、2.5ださげの!単位まぢげっださげ!」と私。
天然ボケ&ツッコミ珍道中でした〜♪(笑)
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