2013年03月13日

R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

2013年3月3〜4日
いよいよ旅行記のラストは、沖縄となりました!kao2

3月3日の夜、那覇港に到着し、『伊勢海老料理専門店 三郎』へ直行しました。

添乗して下さったTOM旅行さんが、「みなさんに美味しい物を食べていただきたいということで、事前に足を運び、しっかりリサーチしてみて、美味しかったので、この店を予約しました」ということだったので、とても楽しみにしていましたkao2

入口の生け簀には、大きな伊勢海老がいっぱい!
伊勢海老は、茹でなくてもこんなに赤いんですね!驚きました。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』
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伊勢海老料理専門店らしく、おしぼりを伊勢海老に見立てているのが粋ですね!icon12


R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

沖縄といえば、やっぱり『オリオンビール』ですね!kao3
面識がなかったツアーのみなさんでしたが、3日も一緒にいると、打ち解けました。
西郷先生という共通のテーマがあるので、世代や性別を超えて、お話しができるので、一般的なツアーとは全く違った印象で楽しめました。
最初は、歴史のことが詳しくない私達母娘で参加Kしてよいのだろうか?という思いもありましたが、周りのみなさんが、先生!という感じで、いろんなことを教えていただくことができて、本当に学びの多い旅となりました。
沖縄は、『西郷先生の遺徳を訪ねる旅』のオプションという形なので、西郷先生の話しは沖縄では登場しません。


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出ました!伊勢海老の半身のグラタンです!
半身とはいえ、大きいので、かなりのボリュームがありましたkao2



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ゴロンとした食べ応えのある伊勢海老の身の美味しさはたまりませんね!kao2
ロブスターとは、格が違いました!



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そして、ステーキも登場しました!
これは、どこの部位なんでしょうか?
食べたことのない味の肉でした。



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他にもたくさんのごちそうが出されました。
〆は、伊勢海老の味噌汁と御飯でした。

伊勢海老のだしは、見た目よりも繊細なお味でした。


夜は、ホテルサン沖縄にお世話になりました。

旅の間は、ネットをやらず、携帯で簡単にアップするだけだったので、普段の生活よりも、規則正しく、十分な睡眠がとれて、大変健康的だったように思いますkya-icon10



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翌日の3月4日(日)は、首里城見学からスタートしました。

観光のメッカということで、大型観光バスが朝からいっぱいでしたkao10

こちらの瑞泉門の階段は、敵が馬で攻めてきても、馬では上れないような設計がされていました。
また、前屈みならないと階段を上がれないということで、王朝に対して、頭を下げさせるという意味もあったそうです。


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こちらのシーサーは、おそらく首里王朝最後に作られたシーサーだろうと言われているそうです。
高台に築かれたお城なので、シーサーが市内を一望しているようでした。



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首里城は、沖縄戦で焼失し、現在は復元されたものです。
この文化遺産にも容赦なく、爆弾が雨霰の様に投下されたのかと思うと、気持ちが苦しくなりました。
あの海の向こうから、敵が攻めてきたのかと思うと・・・言葉がありません。


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こちらは、1992年に復元された首里城正殿です。
約500年にわたって、琉球王国の城としてありつづけた首里城。



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正殿内の国王の椅子です。
この時も、記念撮影をする人でごった返していて、ようやく撮れた写真です。



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琉球王国の歴史などのパネル展示などもあったのですが、ものすごい人、人、人・・・で、ベルトコンベア式に流れにのらなければならず、結局、何も読めないままに押し出されたような感じでした(泣)
もう少し琉球王国について学ぶ時間があったらよかったなぁ〜とちょっと残念な感じでした。

この混雑の中でも、関心したのが、車椅子の方でも見学出来るように、エレベーターや昇降機などの設備がしっかりしていたところです。
トイレなどにも、いろんな外国語の表示がされてあり、国際的な観光スポットだということを感じました。





R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

つづいては、『おきなわワールド』に到着しました。
ここの滞在時間は、45分間。
私達母娘は、スーパーエイサーショーと玉泉洞の両方を欲張って見ました!
よく時間内に間に合ったものだと思います。
ところが、スーパーエイサーショーも玉泉洞も、撮影禁止だったので、記念の写真はありませんkao9
写真がないと、本当に行ったのか?幻か???という感じに、記憶が遠くなってしまうものですね。

玉泉洞は、気温21℃に湿度が、なんと87%で、不快指数MAXでした!kya-icon10icon10icon10
こんなに蒸し暑い鍾乳洞があったとは驚きました。
前日に沖永良部島で見た「昇竜洞」のような造形美はあまりなくて、ただただ、「こえ〜!こえ〜〜!!はやぐでっで〜!」というRicoママの声だけが記憶に残っています(笑)
蒸し暑いのに昔から弱い人なものでkao18
それは、それで、強烈なインパクトがあり、旅の思い出となりました!(笑)



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続いて向ったのは、『沖縄県平和祈念資料館』です。
沖縄らしい素敵な建物でした。


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平和の広場にあるこちらの三角のモニュメントの中には、「平和の火」が灯されています。
沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火して、灯し続けられているそうです。



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地図が描かれていて、真ん中が沖縄になっています。
沖縄から平和の波が世界へ流れるようにというイメージで、波紋が外へ向ってつながっていくように設計されてあります。

こんなに美しい海岸から、敵軍が上陸してきたのですから・・・想像しただけで、怖くなってしまいました。



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こちらは、「平和の礎(いしじ)」といって、沖縄戦などで亡くなられた国内外の25万人余の方のお名前が刻まれている石碑です。
間に植えられている木は、モモタマナ(沖縄名:クワディーサー)という木です。
モモタマナ(クワディーサー)は人の哀しみの涙を吸って成長する木といわれ、お墓に植えられることが多い木なのだそうです。
この公園には、25万人の悲しみを鎮魂するために、250本のモモタマナ(クワディーサー)が植樹されているそうです。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

「平和の礎(いしじ)」の中には、山形県人の区画もありました。
沖縄の島民のお名前の所には、「○○家の四女」といった形で、お名前がない方が多くありました。
一家全滅で、戸籍も焼失ということで、名前がわからないままに刻まれているのだそうです。

のどかな島が戦場になり、普通に暮らしていた家族が巻き込まれて命を落としてしまったのです。
胸が締め付けられるように苦しくなりました。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

続いて向ったのは、『ひめゆりの塔』です。
『ひめゆりの塔』とは、写真の右側の石碑のことでした。
奥に見えるのが、慰霊碑(納骨堂)で、その手前の大きな穴が、第三外科壕(沖縄では、ガマと呼びます)の入り口です。
従軍看護隊として、日本軍と共に行動していた『ひめゆり学徒隊』の最後の地です。
壕内にあった野戦病院で負傷兵の看護にあたっていた時、敵襲をうけ、命を落とした学徒隊と職員200名以上が祀られています。

この近くで、献花の売店があったので、献花をさせていただくことができました。
私には、手を合わせて、ご供養と平和を誓うことしかできませんでした。



『ひめゆり平和祈念資料館』も見学させていただきました。
アメリカ軍が撮影した生々しい当時の戦場の記録映像が大型スクリーンに写し出されました。
惨過ぎる映像に血の気が引きました。
映画とは違います。こんなに酷いことが現実になってしまうのが戦争なんですね。

もう、とても見ていられないと思ったら、いつの間にか、私のとなりに、小さなおばあちゃんが座っていました。
そして、私に話しかけてきました。
「私もこの時、17で、この人達と同じだったんだよ!私は、この近くに住んでいるの!今、84歳だよ。」ということで、驚きました。
どうやら、よくここにいらっしゃっているようです。
本当は辛くて、見たくないはずなのに・・・それでも、戦争体験を伝えなければという思いでいることがわかりました。
「このおばあちゃんは、一生、この戦争体験から逃げずに、頑張っていらっしゃるんだ」と思ったら、目をそむけずに、沖縄戦から、しっかり学ばなければならいという気持ちになりました。

やはり現地での情報は、私がイメージしていたものよりもっともっと酷かったです。
足を運んで、自分の感覚で掴んだものは、これからの反戦の思いに強く影響することでしょう。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

『ひめゆり平和祈念資料館』の中に飾られていたひな人形です。
沖縄で唯一見たひな人形が、ここでした。
めじょけねぐで、めじょけねぐで・・・。

女学生さんは、看護要員だったそうですが、一方、男子学生はというと・・・戦地の最前線で、人柱のように立たされたそうです。中には、爆弾を持って、敵陣に突っ込み自爆させられた子もいたそうです。
この沖縄で、そんなことがあったとは、知らなかった!

「戦争は嫌だ!」という気持ちが、重くのしかかってきました。


R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

『ひめゆりの塔』を出発して、続いて向ったのは、『山形の塔』でした。
初めて耳にした『山形の塔』とはなんだろう?と思ったら、「沖縄戦戦没者 765柱、南方諸地域戦没者 25,612柱、その他地域戦没者 14,457柱の戦没された山形県出身者四万余柱の諸霊を祀ってあります」ということで、衝撃を受けました!



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

山形県から、4万人も徴兵されて、こんなに遠くの南の地で、戦没されたなんて、全く知りませんでした!
今、山形県民のどれくらいの方が、この沖縄に『山形の塔』というのが建立されていることをご存知の方がいるのでしょうか?
『ひめゆりの塔』は、沖縄戦の惨事の象徴のようになり、修学旅行生はじめ、たくさんの参拝者でごった返していました。
それに比べていけないのでしょうけれど、『山形の塔』の周りは、ひっそりとした感じで、寂しさがこみ上げてきました。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

こちらの壕内(ガマ)で、山形県出身者で編成された歩兵第三十二連隊が、1945年8月に軍旗を奉焼した由緒ある丘(終焉の地)なのだそうです。
沖縄には、このようなガマが今でもたくさん残っているそうです。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

『山形の塔』のすぐ近くに、『白梅の塔』がありました。
こちらも、『ひめゆりの塔』と同じく、女学生で構成された白梅学徒隊の慰霊碑です。
ちょうど、女学生さんたちによるセレモニーが行われていたので、私達は、邪魔をしないように遠くから手を合わせていただきました。
80代位のおばあさん達が2〜3人がいましたので、もしかしたら、白梅学徒隊の生存者の方かもしれません。

『ひめゆりの塔』は、小説や映画化されたおかげで、ひめゆり学徒隊だけが突出して有名になりましたが、実は、もっと他にもたくさんの学徒隊が存在していました。
他にも、梯梧(でいごの花)看護隊など、実態がつかめないほど数多くあったそうです。

ここまで酷かったとは・・・でも、知ったことにより、沖縄のみなさんの気持ちに少し寄り添うことができるようになったかもしれません。
沖縄のみなさんの犠牲の上に、今の平和があります。
今年迎える終戦記念日は、今までとは違ったものになりそうです。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

最後の観光スポットは、『琉球ガラス村』でした。
戦後、アメリカ軍が捨てるコーラの瓶を利用して作ったのが琉球ガラスの始まりとのこと。



R2013.3旅行記7『沖縄首里城、ひめゆりの塔、山形の塔』

今では、沖縄一大加工産業として発展しているそうです。
夏は、暑くて作業が大変でしょうね。


というわけで、この後、那覇空港から出発し、庄内空港には夜9時過ぎに到着しました。
沖縄は、気温が20℃以上あったのに、酒田に着いたら、-2℃でしたkao11
頭ではわかっていても、身体がついていけない感じがありました。

友達からは、「沖縄、おもしぇけが?」と聞かれましたが・・・「重かった!」というのが、私の正直な感想です。
沖縄は、北の方へ行くと、自然溢れるリゾート地がたくさんあるそうですが、今回は、南を集中的に周り、しかも戦場遺産を巡ったため、面白かったという表現は、一切でてきません。


昨日のニュースでは、お隣の国の人達が、戦争をしたがっている様子が報道されました。
沖縄戦のことを学ばせていただいたおかげで、このニュースを今まで以上に緊迫した気持ちで見るようになりました。
戦争のない世界平和を心から祈ります。



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Posted by Rico at 03:41│Comments(2)TRIP
この記事へのコメント
沖縄と言えばオリオンビールと泡盛でしょう。
以前行ったときは毎晩飲んでました。

沖縄は戦争遺跡ばかりで嫌だという人もいますが、これは仕方がありません。
太平洋戦争で日本の犠牲になった沖縄の史跡は見る必要があると思います。
アブチラガマというガマに行きましたが、観光地の鍾乳洞と違って中に照明が無く懐中電灯を消すと真っ暗闇になるのでした。
この中に1000人も住んでいたなど想像を絶する感じがしましたね。

今現在も辺野古問題など解決の目途もない状況ですし。
Posted by あべ at 2013年03月13日 23:14
>あべさんへ
泡盛も登場しましたよ!
お土産に買われていた方もいらっしゃったようです。

初めての沖縄だったのですが、実質半日だけの観光時間でしたので、沖縄=戦争というイメージで、終わってしまいました。
でも、これはとても大事なことなので、今回は、これでよかったと思います。
ただ、沖縄のよいところを発見する時間が全くなかったのは、残念だったと思います。

ガマは、とても人が住める環境ではありませんよね。それでも、生き抜くために、入らなければならなかったほど追いつめられた状況だったんですよね。
沖縄のみなさんが、心穏やかに生活できる日がくることを願ってやみません。
Posted by RicoRico at 2013年03月14日 02:31
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