2021年09月09日
R 夏の想い出2021・山形県庄内町『清川歴史公園・荘内藩清川関所』&『回天の魁士・清河八郎記念館』

『Rico's Room2』へ、ようこそ♪


夏の想い出2021・山形県庄内町『清川歴史公園・荘内藩清川関所』&『回天の魁士・清河八郎記念館』へ行ってまいりました!
こちらの『清川歴史公園・荘内藩清川関所』は、2019年4月にオープンした新しい施設です。
この建物は『川口番所』です。
お蕎麦などを提供されているようでした。

最上川の舟運は、古から明治時代にかけ、経済と文化の大動脈として活躍していました。
「西の伊勢参り、東の奥参り」と呼ばれるほど、信仰のある出羽三山詣での登拝口として、清川は大いに賑わったと言われています。
参勤交代など、江戸に向かう際は、清川から乗船して最上川を進み、清水(大蔵村)で陸路に出て羽州街道で江戸に入るのが通常のコースだったと言われています。
※荘内藩清川関所案内板より

こちらは、『船見番所』です。
入館無料でした。

『船見番所』から見た最上川です。

『芭蕉上陸之地』の碑が建っていました。

俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月3日、本合海よりこの地に上陸し、狩川を通って、羽黒へ向かいました。
「五月雨を 集めて早し 最上川」
この名句は、その舟の中で作ったものと言われています。
清川は往時、最上川の水駅として栄え、この地に清川関所がありました。
※松尾芭蕉と清川の案内板より

「五月雨を 集めて早し 最上川」の碑もありました。
最上川を見るたびに、芭蕉のこの名句が頭をよぎります。

こちらは、『清河神社』です。
鳥居は、ちょうど修繕工事中でした。

明治維新の魁といわれる清河八郎が祀られています。

神社の周囲には、清河八郎へ対する記念碑がたくさんありました。
特に驚いたのが、こちらの『清河正明(八郎)碑』は、山岡鉄太郎(鉄舟)が撰したものでした!


ここで、戊辰戦争があったことが記されてありました。

清川がこんなところだったとは!
実際に足を運んで知ったことばかりでした。

『清河八郎』像です。
揮毫は、大川周明とのこと。

清河神社の脇に『清河八郎記念館』があります。

廣田館長より、詳しくご案内をいただいて、ありがたかったです。
清川は、日本三大悪風『清川だし』が吹く風のまちとして知られています。
風が吹くと、最上川の舟運が止まり、清川は、宿場町として栄えたということを教えていただきました。
清川に対するイメージがガラリと変わりました!
それから、山岡鉄舟に対するイメージも、変わりました!
もっと早くに、地元の偉人のことを学ぶべきだったと反省しました。

ただいまの企画展は、『京都での改革を目指した清河八郎と同士たち〜同士を求める全国行脚、その先は〜』でした。
展示資料もありましたので、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいと思います。
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Posted by Rico at 23:50│Comments(0)
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