2012年09月23日

久松のルーツvol.2『久松一族』の本を入手!家紋の不思議♪



今年のお盆に、『久松のルーツを探る』ということで、当ブログにアップさせていただきました。

その後、同級生の久松君のご実家へお邪魔して、お話をお聞きしたり、父方の実家へ久松君のお母さんも含めて、『久松のルーツ』について、なにか手がかりはないかということで、話し合いを行いました。

すると、すると・・・
叔父が持っていた登記簿を見せてくれました。
なんと「安政元年」のご先祖様からのスタートになっていました。
安政元年といえば、1854年13代将軍 徳川家定(孝明天皇)の時代です。
その頃には、旧平田町に、久松一族は住んでいたということが証明されました。
安政元年からのご先祖様の記録を見せていただくことができて、とても嬉しかったですkao2

もっと先のことを知りたい場合は、お寺にある過去帳を調べるとよいというお話を聞いたのですが、残念ながら、父方の実家のお寺は、火災で、過去帳が焼失し、250年前までしかさかのぼれないということなのでした。


他に、何か手がかりはないかと思っていたら、『久松一族』という日本家系協会が出版している本を久松君のお母さんが所有しており、お借りすることができました。
日本家系協会とは、このような各々の姓氏の起こりとその流れを整理した本を4,000余種刊行されているのだそうです。
問い合わせれば、好きな一族の本を購入することができるようです。
自分のルーツを知りたいといニーズがあるわけですね!

ただ、ここには、旧平田町の久松一族とはどのように関わりがあるのかまでは書かれてありません。
私が知りたいのは、その部分なのです。





こちらは、父方の実家の家紋の写真です。確かに、『丸に梅鉢』になっていました。
ウィキペディアの久松氏を見ても、たしかに、久松は、『梅鉢』の家紋を使用していることがわかりました。





ところが、久松君の家紋は、なんと、こちらの『丸に三つ盛り亀甲花菱』という初めてみた家紋で驚きました!
亀甲花菱は、直江兼続の家紋と同じですよね?

久松君の方のルーツは、四代先までしかわからないということで、私達の久松とのつながりがあるのかないのかもわかりません。

しかし、『久松一族』の本を読んでみると、家紋に関しては、かなり自由にデザインを変化させたりして、本家と別家では全く異なる場合もあるということが書かれてありました。
また、上位の身分の家から、養子(婿)をもらったりした場合にはそちらの家紋を使用することもあったそうです。
それから、将軍家などより拝領せし家紋を以後の正紋とし、古来のものを裏紋、替紋とする家も少なからずあったそうです。

そういう点からみると、家紋が違うから、全く違うと判断することはできないということですよね!
久松君の方のルーツの手掛かりがなかなか見つからなくて、お気の毒な感じがします。


とはいえ、私の場合も、四国の松山城の松平久松とつながっているとは言われているけれど、一体いつ頃旧平田町に住みはじめたのかがわかりません。

先日も、当ブログに書きましたが、『久松保定記・続保定記及び印旛沼日記(県指定有形文化財)』を所有する方にお会いして、お話しをお聞きしてみるしか手掛かりはないようです。
現在、90代の女性ということで、「本当に今を逃したら、もう誰にも聞くことができないぞ!」と親戚一同から、私に対して期待を寄せられてしまって、プレッシャーを感じていますicon10
なんとか、アポがとれることを祈っています。

前回は、お盆にこのネタをアップして、今回は、秋彼岸にこのネタをアップしている自分が、偶然なのか?必然なのか??と不思議な気持ちになります。
きっと、ご先祖様方も、見守って下さるに違いないと信じて、あともう少し、頑張りたいと思います。


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この記事へのコメント
ルーツ探しの記事、興味深く拝見しています♪
私も前に我が家のルーツをちょっとダケ調べた事があったんですが
役場の除籍簿を確認したところ、曾祖父の代に「士族〇〇家の名跡を継ぐ」と記載されてあって
曾祖父までは別の名字だったのかぁ、と驚いたのを覚えています♪

Ricoさんのルーツ探しの旅、続報を期待しておりますよ(^O^)/
Posted by はらほろはらほろ at 2012年09月23日 07:31
>はらほろさんへ
とってもマニアックなネタですが、はらほろさんに興味を持っていただいて、嬉しいです(^o^)

はらほろさんも、お調べになられたことがあったんですね!

先日、安政元年までの登記簿を見たら、たくさんのご先祖様のお名前が書かれてありました。

たくさんの命がつながって、今、自分の命をいただいているんだなぁ〜とありがたく思います。

久松のルーツ探しの最終章まで、どうぞお付き合いをよろしくお願いいたしますm(_ _)m
Posted by Rico at 2012年09月23日 17:49
…いつの間にか、凄い状況になってたんですね。
Ricoさんのブログは時々チェックさせていましたが、ブログに記載されていない部分で、かなり面白い事になっていたんですね。

私が気になっていたのは『最上家に追われた、久松家が金山より平田に移り住んだ』という事。

最上家といえば、多分、義光の事で、義光が若いころは、まだ自国の周りは敵ばっかりでまだ領土がまだ少なかったんですね。それが『関ヶ原の戦い』の前あたりで、最上地方、庄内地方を攻略しています。

…そこからロマン(笑)が広がりますが、久松家には最上義光を魅了する『何か』があった。財産…?開墾するのに必要な土木技術…?それとも他の何か…?(笑)

今日は総合文化センターに行く用事があったので、中の図書館で『平田町史』を少し見てきました。家族と一緒だったので、すぐに撤収しちゃいましたが
…。当然の事ながら平田町の歴史はかなり詳しく記載されていましたよ。余りにも詳しく記載されていたので、短時間じゃ読破できんかったですが。

私も続報を期待していますよぉ!頑張ってね
Posted by のり at 2012年09月23日 23:39
>のりさんへ
ブログチェックしていただいてありがとうございます!
この久松のルーツネタは、「のりさんに見てもらいたい!」という気持ちで書いていますので、今日、ご覧いただいていることがわかって、とても嬉しいです(^o^)/

そして、のりさんの方でも、図書館で調べて下さっていることを知り、大変ありがたいと思っております。

のりさんも、『関ヶ原の戦い』を疑ってますね!私も、その頃では?という想像をしています。
しかし、『最上家に追われた、久松家が金山より平田に移り住んだ』という話しは、平田の親戚は、聞いたことがないようです。
平家の落ち武者だ!とか、いや、源氏だ!とか言われているようで???

いよいよ久松保定記を所有されている久松さんにアポをとってみるところなのですが、久松君の同行は難しいという返事が届いたところです。

実は、ブログには書き切れないほどの情報が集まっています。
いつか、のりさんにきちんとご報告できる機会があればありがたいと思っています。
Posted by RicoRico at 2012年09月24日 02:16
家は分家で姓は戸田です。高知県が父の出身で、氏神の総本社が伊予の大山祗神社になります。家紋が分家で○に剣花菱
になります。お寺は江戸時代にはあったと思いますが、神仏分離により分かりませんが、調べると、家の氏神の隣には万福寺、行基建立の伝承があります。大山祗神社にも天智天皇の物が奉納されてます。ちなみにお寺関係ではおそらく真言宗智山派との関係が有りますね。大昔は越智小千玉澄がこの地に住み、神社やお寺等、関係してます。ちなみに高知県の私の祖祖母に当たる方が菅原氏の天満宮を祭ってました。調べると、久松くんでしたっけ!花菱等やたらに家紋がつけられたようには思いません。ルーツがあると私は思います。松平氏一族も久松だけではないので色々な系統から探すとあちこちに繋がると思います。家も繋がりがあちこちに感じて居ます。土佐藩山内忠義の妻も久松松平氏ですよ
更に土佐には戸田氏でも今の所三つ家紋が見つけられました。七曜 九曜 と家の○に剣花菱 しかし遠くは繋がるかもしれませんが途中は皆違います。土佐藩には菱紋も使う方が居たり、幅は広いですが。では
Posted by 初めまして、 at 2018年03月13日 12:21
>初めまして、さんへ

高知の情報をいただきまして、誠にありがとうございます。
家紋は、先祖代々の言い伝えが頼りとなっている感じですよね。久松君の場合は、ご親戚がいないということで、手がかりが全くありません。
養子縁組とか、その家庭の事情というのもありますので、プライバシーへの配慮も必要なのかもしれません。
とにかく、家紋があるということは、どこかで何かのご縁があったのは間違いはないことだと思いますので、ありがたい気持ちで大事にして欲しいと思います。
私は、高知へ行ったことがありますが、是非またお伺いしたい地です。
Posted by RicoRico at 2018年03月14日 02:52
お返事有り難うございます。 愛媛県の松山城ですと、定勝系ですよね。妹が徳川家康の養子に入り、松本城の戸田康長の側室になられましたね。伊予の大山祗神社にも定勝系が関係してます。是非大山祗神社の事も見て見てください。高知県には愛媛県との繋がりがとても古くから有りますよ。家はもとより元が何処かはやはり分かりませんが、神社関係からすると愛媛県との繋がりもあったのかとも思いますが。神社は海津見神社になります。仁井田五社との関係も有るのかもしれません。代表になるのが高岡神社でして、私が見たお寺等は長曽我部時代にはあちこち焼かれたりしましたが、四国では、その後山内時代に再興されている場所があったりと歴史を見ると面白いです。又宜しくお願いします⤵️
Posted by 戸田 at 2018年04月09日 10:09
>戸田さんへ

詳しい情報を更にいただきまして、誠にありがとうございます。
愛媛、高知のつながりは深いんでしょうね。
我がご先祖の記録を見ると、安政元年には、すでに山形県酒田市へ定住していたことがわかりました。言い伝えでは、源平合戦の頃に、久松一族が移り住んだと言われていますが、資料はありません。
久松一族は、源氏側だったのか?平家側だったのか??戸田さんは、わかりませんでしょうか?
源氏側だとすると、源義経に仕えた佐藤継信兄弟の佐藤家が酒田にありますので、その佐藤家と一緒に、久松一族は、酒田へ来たということは考えられないものでしょうか?
平家側に仕えたとすれば、落武者ということになるのかもしれませんが・・・平家とのつながりが全く見つけられません。

あまりにも昔すぎて、記録も手がかりもないといった状況ですみません。
もし、また新たな情報がありましたら、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
Posted by RicoRico at 2018年04月10日 02:49
こんにちは、源氏か、平家かと申されますと、おそらくでは有り私の推測にもなりますが、源氏方であったと考えます。
家の氏神の隣には万福寺が有りました。万福寺は鎌倉にも有りますが、源義経ゆかりになる神社名なのですが、大山祗神社は三島神社でも有りますが、三島神社には源頼朝との関係も有るのです。遠い昔は海ととても深い関係があったと思いますが、水運に携わって来たのではないかと思います。土佐の家から関係ある神社やお寺には天智天皇、空海弘法大師が絡んでいるのですが、詳しい事が上手く言えませんが、遠い昔を辿ると白村江の戦い迄遡るような気がします。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月10日 09:07
ただ、土佐についての調べなので、他の場所については今一な所ですが、土佐には家の関係する場所には菅原道真を祭る天満宮が有りますが、昔菅原道真の兄弟が土佐に居ました。久松松平氏も本は菅原氏ですよね。婚姻や様々な事を考えれば徳川家の関係が強いですよね。又山形県には山形藩が有りますが、歴代藩主を見ると、奥平松平、秋元氏、この二つは戸田氏にも関係が有りますよ。奥平松平氏から戸田を称した者、秋元氏に養子に入った者、又掘田氏は松本城の藩主も務めていたり、これらは皆、久松氏戸田氏の関係が有りました。ただ詳しい事がまだ良く調べていないので、別家であるのかも分からなく申し訳ないです。ただ私が調べる範囲だと、久松氏も戸田氏も松山藩が関係あれば、徳川家には一番強く関係しているような気がします。松平も広く有りますので、どのように移動したかは中々難しい所では有りますが、山形藩との関係も有るか?又教えて頂けたらと。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月10日 09:26
廃藩置県後に山形県の何処からか酒田市に移動したとかは無いですよね?
実は家は分家で、本家とは家紋が違うらしくおそらく明治時代からある先祖代々のお墓は一人一基の墓でしたが本家のお墓の場所が分かりません。身近に付き合いが無いので。ちょうど、万福寺と海津見神社の直ぐ上にお墓が有りました。昔親戚でお世話になった家はまだその上にお墓があったようです。おそらくそちらの方が身分的に高かったかもしれませんが、余談ですが、中世はお城もあったようです。西和泉守宗勝の城?当時は土佐一条氏の配下で、次の時代には佐竹氏、山内時代には、越智姓伊予河野氏の林勝吉が支配していましたよ。余談スミマセン。今の所は家は山内時代か廃藩置県後にこちらに来たのではと推測してますが。新田開発や土地開拓が有りましたので、しかし神社等は同じ士族達で守って来たのではと。久松さんはお寺ですか?神社ですか?関係があればヒントも得られるかもしれませんね。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月10日 09:46
新たな情報で有りますが、愛媛県の文化財に、久松松平氏の久松定行が家老宛に出された書には、小笠原忠真の娘との婚姻についての書には、梅鉢家紋と亀甲花菱家紋があしらわれていたようですよ。小笠原忠真と言えば、松本城の松本藩でも有ります。どのような関係かはまだ分かりませんが一応記しておきますね。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月10日 22:48
>戸田氏 様へ

数々の情報をいただきまして、誠にありがとうございます。
私のご先祖の久松一族は松山藩とは、直接の関わりはないとのことでした。
江戸時代には、山形県酒田市(旧平田町)に移り住んでおりました。
当時、山形県庄内地方を治めていたのは、酒井家(庄内藩)でした。
その頃、庄内藩大庄屋(添川組)の久松宗作が、『印旛沼日記』を残し、現在では、山形県指定有形文化財(典籍)「保定記・続保定記及び印旛沼日記」として、保存されています。
Posted by RicoRico at 2018年04月12日 02:08
お返事有り難うございます。色々コメントしまして申し訳ないです。
そうでしたか?松山藩との関わりがあれば、家も何かしら関係していたかと思い投稿致しました。四国にはあちこちから出入りがあったと思われ、そちらとも何か縁があればと。逆にお役に立てませんで申し訳有りませんでした。松平も広いですし、酒井氏もあちこち存在してましたから歴史は難しいですね。色々有り難うございました。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月12日 11:54
>戸田氏 様へ

いろいろと親身に情報をお寄せいただきましたことに、心より感謝を申し上げます。
久松家の菩提寺が江戸時代に消失したということで、それ以前の記録が消失したしまったという状況です。
また、新しい手がかりがあったら、ブログに掲載していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by RicoRico at 2018年04月13日 02:40
日本家系協会の本があるんですね。
貴重な情報、ありがとうございます。
Posted by 酒田人 at 2018年04月13日 09:40
>酒田人さんへ

私も、この時、こういう本が発行されているのを初めて知りました。
自分のルーツが気になる時って、誰しもあるのでしょうね。
Posted by RicoRico at 2018年04月13日 23:32
ご丁寧に有り難うございます。
又いつか情報が入手出来たら良いですね。
ご先祖様はとても立派な方だったと思いますよ。 先祖様がお互いについているかもしれませんね。ご先祖様を感じその思いが強い程有るように聞いた事が有ります。私は一人一基の墓石を移動させた時期におじいさんの夢を見てその頃から気になったんです。遠い昔の事を探るのは難しいですが、久松家は有名か士族ですので何か又手掛かりが有ることを願います。それでは失礼致します。
Posted by 戸田氏 at 2018年04月14日 23:27
>戸田氏 様へ

松山藩も庄内藩も、ルーツを辿れば、どこかで久松氏は一つに繋がるはずですので、お寄せいただいた情報は、全くの他人事ではないと思っています。
東北にいるとなかなか入ってこない貴重な情報をたくさんいただきまして、誠にありがとうございました。
ご先祖様からいただいた命に感謝して、大切に生ききりたいと思います。
戸田氏 様も、お身体をご大切にお過ごしくださいませ。
Posted by RicoRico at 2018年04月15日 02:07
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